ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録ライナーノート
デイヴ・バレルー吉沢元治[ドリームス](1974年12月)
トリオ PAP-9010

ドリームス Side A
1.レッド〜ブラック
Side B
1.グリーン〜デイドリーム

デイヴ・バレル (p), 吉沢元治 (b)

録音:1973年11月30日 東京イイノホール
エンジニア:荒井郁夫
写真・デザイン:内藤忠行
制作:稲岡邦弥、原田和男

1. 来たるべきジャズーその未明と発現

ジャズの創造性という地点から見た場合、70年代に入ってからの現象/情況は擬制の絢爛→仮死と孤立の営為→未生の二つの相と、表現への新たな秩序→体制化、行為への不可能性の追求→非体制化の二極的な動勢の現前を表わしている。擬制の絢爛は例えばビバップ・リバイバルやニュー・ファンク・ブーム、又は新形式主義的演奏家、新保守派グループによってジャズ総体のパワーの上昇とすりかえられる程に現象的はなざかりのさまを見せている、その背後には退廃一・仮死の気配を日毎にあらわす形で実現している。そしてそれは一つの危機の意識から見た場合、イディオムとフォルムの固定化、可能的で容易な表現の整合化、現状の展開化、新らしい秩序への希求、自己のいごこちの長さのための自制、無数の自愛、自己容認とノスタルジーの保持、感性の内閉化、感受性の静止化、音をオブジェとしたことによる、肉体との遊離、もて遊び、組み変え、移動、色つけ、演奏よりサウンドの重視、音の運動化解放化より統合化、といった言葉でとらえられる<ジャズの去勢化>を示すものと見ることは可能である。それはジャズという動的な<文化>を一つの仮死の状態とみちびき、発展の内閉と自閉による<新たな体制化、新たな秩序化>をめざすものといえるかも知れない。初めからことわったように、このことはジャズの創造性という地点から述べたことであり、ジャズの娯楽性の視点、またはジャズがポップ・ミュージックであり、コマーシャルなファッション商品でもあるという見方に立てば異った現勢の分析も可能と言える。
ジャズの外側ではなくて内側の本質的な問題、演奏行為の追求と究極的展開、表音行為の意志的探求、表現領域の拡大、緊密化、または表現を超えたものへの模索、挺身、そして音楽を支えるイディオム、セオリー、メソッド、メティエ、システムの追求、といえ地平から考えると、先に述べたもう一つの相・孤立の営為→未生、行為への不可能性の追求→非体制化がはっきりととらえられるだろう。激しい創造と熱い斗いの後には必ず反動保守の時代があるという歴史のならいが当てはまってしまうように思える、現在のジャズの実質の低迷さ(日本とニューヨークを見よ!)とうわべの百花繚乱はこのことを物語る。そして70年代に特徴的にあげられることは、創造的営為を持続し目指そうとするものは、皆深く孤立し、深く傷ついているということである。今は60年代におけるのと異なり、時代や世代や地域というマクロな形でのボルテージの上がり方を持たない。相互交流や共演を通じながらも、それぞれの内に深く孤立し、其の自己確認と、ジャズにおける創造性の問題、コミュニケイトの問題、感性、抒情について考え続けていると思われる。グループ・コンポージング、コレクティブ・インプロヴィゼイション、テクニックと表現、楽器の特性と限界・可能性、クロス・トーク、自己における個的演奏のとらえかえし等がそれぞれの場所で探求されつつあることの現象は好意的に見て、多くの楽器(ドラムス、パーカッション、ピアノ、サックス、ベース、ペット)のソロ、そして多くのデュオの試み、そしてSME、FMP、ICP、NDQ、AACM等のグループ・コンポージングの試みの内にとらえることができると思われる。そしてサックス・ソロにおいてはアンソニー・ブラックストンとステイーヴ・レイシーによって、ピアノ・ソロにおいてはセシル・テイラー、ポール・ブレイ、キース・ジャレット、フレッド・バンホーフ、ヨアヒム・キューン等によって、ベース・ソロではバール・フィリップスとこのレコードの吉沢元治によって、少しづつその試みは押し進められ、開かれつつあると言える。
このことはもっと語られねばならない。どのようなファンク・ブームが起ろうとそれはジャズとジャズを受け入れる情況との退化現象でしかなく、どのようなかっての名人の再起やうもれたミュージシャンの再起・発堀の輝かしい出来事よりも、ジャズは来たるべきもの、そしてさらに不可視の地平を切りひらこうとするもののために語られるべきであるからである。


2. フリー・ジャズ第二世代 ポスト・テイラーのピアニストそしてデイヴ・バレルについて

58年からアメリカやヨーロッパ各地で幾人かの人々が開いていったフリー・ジャズは63年から64年にかけて一つの明らかな勢力と世代を形づくった。その時期には各地の人々が一つの共同の斗いのため一堂に会して組織的な運動も試みはじめた。それらの人々、いわば運動内と外でフリー・ジャズを目指した人々をフリー・ジャズの第一世代と呼ぶことができるだろう。アト・ランダムに名をあげれば、サン・ラ、セシル・テイラー、オーネット・コールマン、ポール・ブレイ、ジョン・チカイ、アルバート・アイラー、ビル・ディクソン、ステイーヴ・レイシー、ドン・チェリー、アーチー・シェップ等がそれに当たる。そしてこのうちにジョン・コルトレーンも私は入れたいと考える。そしてこれらの人々の影書を受け、又は共演してゆくうちにフリー・ジャズを推進してゆくようになった一群の人々がいる。フランク・ライト、ファロア・サンダース、マリオン・ブラウン、アラン・シルヴァ、その他数多くの人達。これから語るデイヴ・バレルもこの内に入る。この人達はフリー・ジャズ第二世代と呼ばれてしかるべき発現と運動を形成していった人達である。かんたんに述べれば、この人達と全く独自に第一世代の人々の理論と方法を発展し、特にアイラー、ドルフィー、コールマン、コルトレーンの直接の影響を受け現代音楽を発展的に導入したヨーロッパの人々がいて、そしてまた別にこの第一世代と他のリズム&ブルースやフォークロレの影響を同時に血肉としつつ過激な姿勢を持つに至った重要な一群、いわゆるシカゴ派の人々がいるのである。これらの3つの系が入り混り、相互的に影響を与え合い複雑に分化・統合・孤立しているのが現在のフリー・ジャズの現勢と言える。ピアノについて言えば、フリー・ジャズ第二世代のピアニストはセシル・テイラーの圧倒的な影響を受けると共に、セシル・テイラーが自らのルーツとする三人の大きな個性的ピアニスト=コンポーザー、デューク・エリントン、バド・パウエル、セロニアス・モンクの影書も同時に受けて自らの表現行為世界の根底として言える。デイヴ・バレルも又まぎれもなくそうしたピアニストの一人である。くわしい分析も解明はまたの機会にするとして、エリントンはジャズ生成のルーツをきわめて強く求め、根なし草ではないジャズのフォーマットと発展を、ブラック・ピープルの音感覚と、エトスを展開した最も重要なミュージシャン=コンポーザーの一人であるし、パウエルはスイングをパトスとタイムのぎりぎりの可能性にまで高め、コードとアウト・コードの極限的な追求を行った人間として記憶されるべき人物でジャズ・ピアノの機能を初めて演奏行為の内に切り開いた。モンクはと言えばタイム・ビート・テンポ・間・音色のすべての面で、ピアノのタッチングとアクショニングを組織化し構造的にとらえた偉大な人物である。もしジャズ・ピアノにおいて構造という言葉が使われることが許されるならばモンクこそがその最初の人でなけれはならない。ピアノの演奏行為と表現において、パウエルとモンクはイン・コード奏法の限界までトランスフォーメンションと変換を追求し、テイラーの直接の先人であると言える。
デイヴ・バレルにおいてもこの系図は大きな支配力を持っている。40年オハイオ州に生まれたバレルはハワイ大学をへてボストンのバークレー・ミュージック・スクールで演奏活動を始めた。67年頃ESPでレコーディング・デビューをする時期に、彼はアーチー・シェップ、サニー・マレー、フランク・ライト ノア・ハワード、アラン・シルヴァ等と共に演奏を続けた。ESPの『ノア・ハワード・アット・ジャドソン・ホール』そしてダグラスの初リーダー・アルバム『ハイ』は共に新しいポスト・テイラーのピアニストとしての輝かしい出立として記憶されるものである。特にノア・ハワードのレコードにおけるバレルはペダルを思い切り使用したパーカッシブなクラスター奏法で見事な音空間を現出させ、その過激なスタイルでポスト・テイラー最大の新人と言われるに十分なものであった。その後アラン・シルヴァの「スキルフルネス」でもさらなる自己展開を行ない、他の多くのミュージシャンと共に69年ヨーロッパへ渡り『エコー』と「ラ・ポーム」のテーマによる『バリエイション』の二枚のリーダー・アルバムを発表した。その内『エコー』は彼のプレイの一つの高みでもあった。ベタルをふみっぱなしでたたきつけるパン・オクターブで全鍵盤を同時に打ち鳴らしながら、その中から有機的なアクセントとアクションを展開させ、リード、パーカッション群との密なるサウンドをひらいている。
その後71年をさかいとしてバレルの音楽と奏法は大きな変化を見せている。アメリカ30の『After Love』はその変化を最も良く表わしている。それはクラスター奏法からボインツ&ドッツ奏法へのパラレルな変化そして、それ以上にダウン・トゥ・アース、グラス・ルーツなものへの回帰、又はコード連関とリリシズムヘの愛着という形をとっている。そこに表われるのが、モンク、エリントンの影書である。73年アーチー・シェップのグループの一員として来日した時の演奏、そしてその時吹き込んだ未発表のトリオ・レコード『Only Me』を聴いた限りでは、バレルに大きな迷いと表現上、演奏上の後退さが見とがめられた。それはシェップにも言えたが、行き先のない或る種の行きづまりの気配さえあるものであった。彼が以前の自分の音楽と奏法を発屈、昇華することにつまづいていると見られることも可能であった。73年11月に再来日した彼はこの吉沢元治とのデュオ・レコードとスタンリー・カウエルとのピアノ・デュオをレコーディングした。吉沢とのデュオは11月30日の深夜から1日の3時まで、カウエルとは12月1日の朝4時からレコーディングを行なった。
多くの人の評価をまちたいが、カウエルそして吉沢とのデュオはバレルが一歩二歩と前進し、以前の自分のアイデンティティを回復しているのがとらえられていると思われる。客観的に聴いて日本レコーディング3枚の内、私はこの吉沢とのデュオが一番成功していると考える。私は3回目のリハーサルと「メアリー・ジェーン」でのデュオ・コンサート、「ピット・イン・ティー・ルーム」の演奏と録音日の4回いあわせることが出来た。レコードの内容については次に述べるとして、ポスト・テイラーのピアニストの内最も表現の究極性へ向っていると思われる、リチャード・エイブラムスの他それぞれの領域でピアノ演奏を追求しているポール・ブレイ、フレッド・バン・ホーフ、ヨアヒム・キューン、シュリッペンバッハ、バートン・グリーンそして注目されるべきボビー・フュー、ジョー・ボナー共々、バレルは今後期待されるピアニストの中心の一人であると言っておきたいと思う。


3. 『Dreams』について

演奏は殆どすべてインプロヴィゼイションによっている。最後の「デイドリーム」だけはデューク・エリントン作品のテーマによっているが、他の3つの演奏「レッド、ブラック、グリーン」はただそれぞれの色のカラー・イメージによってのみコントロールされているものである。バレルによれば「レッド」はパワー、スピード、ダイナミックス、エネルギー、太陽を象徴し、「ブラック」は黒人、強さ、大地、暗闇を表わし、「クリーン」は新生、新鮮なもの、平和、春、喜びを表わすものであった。このカラー・イメージについてバレルと吉沢二者によって話合いがおこなわれたが、異なる個的な色彩体験を持つ二人によって、イメージの統一よりも、それぞれの自分のイメージによるインプロヴァイズとコレスボンダンスが可能であるという見解から演奏は行なわれた。A面の「レッド」「ブラック」は連続的に演奏され、先ず最初はバレルの速い正確なタッチによるパーカッシブな演奏と吉沢のピツィカートによるテンションとクリアーさをもつ演奏により、すぐさま、激しいインプロヴィゼイションヘと突入する。やがてベースはアルコに変わり、バレルの連続的、持続的なピアノ展開と共に張りつめた空間を現わし、やがて突然ゆるやかな静けさに位相を変え、アルコによる吉沢がソロによって「ブラック」へと開かれる。二人は速度と音の量、幅を複雑に交差させながら、加速と減速をくり返し総体のエネルギーを上昇させ、変形させてゆく。この演奏の連続性のレベルでは二人はそれぞれの位置を安易に相互交流させたりせず自らの位置の内に音を流入させ、互いの存在と演奏行為のエクステンションをはかることに成功している。B面の「グリーン」と「デイドリーム」はA面が動性とタイナミックスからスピードと静けさを発見導入しているのに対し、静性とゆるやかさの内にアクションと速度、テンションを際だたせるような展開性を持っている。吉沢の予兆的な長いアルコ・ソロに対置しながら、バレルは単音の短い断続的演奏によって、イニシエイトし、やがて激しいとらわれと静けさを背にした有機的サウンドを形成してゆく。そして吉沢の見事なピツィカートとベースのボディをたたくパーカッシブな奏法、バレルのコップを打つ音を含みながら、「デイドリーム」のテーマヘと達してゆく。この「デイドリーム」の演奏においてバレルは決してメロディに流れない、センシティブな静動を一つ一つ確かめしかもそこから身をひきはがすように一つの高みへと向かっている。モンクのバラードやとりわけマル・ウォルドロンの「オール・アローン」に似たリリシズムがここにある。
このレコードは二人の感性と二人の運動性の自己確認、二人のそれぞれの位置と在り方の探求、そして個と個の出会うーつの瞬間と場所への投企を志向することの内に、インプロヴィゼイションの<クラルテ(明るさ)>に達していると言える。二人はあらゆる感情移入や同調を互いに排し、純粋な演奏行為によってのみ二人の行為を一つの<体験>とすることをめざし一つの<時間>を生きぬいているといえる。


4. 音沢元治 一つの季節そして一つの孤立について

今まぎれもなく言える事は、68年から70年の時期が日本のジャズにとって最も重要な出立と生成の<季節>であったということである。<過激>な創造性と演奏そのものの追求が<ジャズ>を目ざす斗いとしての様を表わしていた。69年に営為として<フリー・ジャズ>の理念がとらえられ、ジャズの変革がいくつかのグループによって進められるようとした。富樫雅彦ESSG、高柳昌行ニュー・ディレクション、山下洋輔トリオ等と共に吉沢元治トリオ(吉沢元治・高木元輝・豊住芳三郎)は最も過激な最も重要なグループであった。このグループは一つのレコーディングも残す事なく70年解散したが、日本のニュー・ジャズの一つの頂点を形づくっていた。吉沢はベースとチェロ、パーカッション、笛を演奏し、そのベースは際だって個性的、独創的、刺激的であった。その時期の彼のプレイは富樫雅彦の『ウイ・ナウ・クリエイト』と高柳昌行の『インデペンデンス』で一端を聴くことができる。そして70年の春から今まで吉沢は自己の世界をただベースのソロによって開いている。4年の間彼はベース・ソロを通じて、単に演奏テクニックや表現の追求を超えて次第に個の深化と孤絶のきびしさを表わすまでに至っている。ソロを<意志的な>一つの生き方として内化し続け、しかも自己に閉ざすことなく、自己の感性、パトスに向けて解き放つことを目ざし、自由と律を見すえている。73年『インスピレーション&パワー』の中に「インランド・フィッシュ」を残しているがこの一曲の内にも彼の居る場所がどのような場所であるかを感受することができた。(この演奏については清水俊彦氏の見事な評がレコードの解説にあることが記憶される。)彼はこれからもさらなる孤と個の内に在ることと演奏することの持続をかけてゆくに違いない。世界でも最もシリアスなべース奏者の一人である。


5. バレル自身のライナーノーツヘのメモ

バレルの書き送って来たライナーによれば彼は現在、ニューヨークでマーカス・ガーベイの黒人解放平和主義の運動に参加し、黒人のための<フリーダム・センター>でグラチャン・モンカー等と共に、幼児の音楽教育とジャンキー(麻薬常習者)の更生のために働いているようである。そしてビーバー・ハリスの「360°デグリーズ・エクスペリエンス」にも加わり演奏活動も続けている。なおこのレコードの「赤、黒、緑」の色はガーベイズムの三色旗の色でもあり、それぞれ血と団結、皮膚、平和を表すとのことである。

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