ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録ライナーノート
吉沢元治[インランド・フィッシュ](1975年4月)
トリオ PAP-9020

インランド・フィッシュ Side A
1.インランド・フィッシュ
2.窓
Side B
1.フラグメント1
2.コレスポンデンス

吉沢元治 (b), 豊住芳三郎 (perc/B-2 only)

録音:1974年9月13日 新宿安田生命ホール
エンジニア:荒井郁夫
イラスト及びデザイン:志賀恒夫
制作:稲岡邦弥、原田和男

“吉沢元治を語る”

出席者;殿山泰司(俳優),清水俊彦(詩人),間章(プロデューサー)

●ベースで弾き語りを……
間 以前、殿山さんが「スイング・ジャーナル」にお書きになりましたね。吉沢さんの演奏でお客さんが殿山さん1人で、1対1で対決したという話。
殿山 いや、3対1だけど。あの時はトリオで演ってたのね、吉沢が。ピアノとドラムで。
間 何年頃でしょうね。
殿山 「ニュー・ジャズ・ホール」だからね。
間 69年頃ですか。
殿山 お客が入ってなくてね。僕1人で1時間ぐらい聴かせてもらって、もう1曲演るっていうんだけど、それはもう、いくら何でも。俺が居なきゃ彼らも休めんだからさ。下の「イレブン」っていう喫茶店に降りたら相倉久人がいてね。「今、俺、上に行ったら吉沢トリオが演ってたんだけど、客、俺1人で1曲聴いて逃げてきたよ」って、せせら笑ってたよ。「へへへへ」なんてね。(笑)熱川なんかに行ってた時期があるのね。あれキャバレーなの。
間 キャバレーっていうか、温泉宿ですね。
殿山 ソロ演ってたの?
間 ソロで演ってたんですよ。
殿山 ソロでっ!?
間 あ、ソロじゃなくて3人位で。昔の幼友達と演ってましたけどね。その時は民謡から何からいろいろ演ってました。で、最近いろいろコンサートがあったり、デイヴ・バレルとのレコードが出たりして、地方の大学なんかでソロで演ってくれっていう話がくるらしいのね。たまたま、どこだったけな、行ったらね、“弾き語り”だと思ってたらしいのね。向うは聴いたことなくて呼んだらしいんですね。客も皆ベース弾きながら歌もうたうと思ってる客ばかりで、「しょうがないから歌ってきたよ」っていってましたけどね(笑)。そういう客層でベース・ソロも最初やったらしいですね。「歌ってくれ、歌ってくれ」って酔っぱらっていうらしいですね。

●突然「君が代」や「佐渡おけさ」が
間 「ジャーナル」の記事で覚えているのは1対1で聴いてみたいという文章をお書きでしたね。
殿山 ええ。
間 この前のコンサートお聴きになっていかがでしたか。
殿山 前のね、ええー高木(元輝)と……
間 あ、紀伊国屋でやりましたね、昔のあの時もいらしたですね。
殿山 ええ、僕はあの頃の吉沢はいろんなことを語りたいんだろうけどね、ちょっと長過ぎるような気がしたんですよ、曲がね。だからかえって冗漫になったりね。伝えたいことも伝えられない。何ていうのかな、全部伝えるためにもっと効果的にパッと切ってね、パっと感銘を与えるというやり方じゃなくて、全部タラタラ演っていたような感じを受けたんですけどね。今度、安田でしたっけね、わりとそういう欠点というか何ていうのか、無くなったみたいな気がして大変嬉しかったですねどね。盛り上げるところはちゃんと盛り上げて。
清水 僕は今日この席に呼ばれているんですけど、全然いい聴き手じゃなかったんです。まあ、昔はちょっとは聴いてたんですけど。本当に聴き始めたのは「インスピレーション&パワー」が契機なんです。それから間君に紹介してもらって話をしている中に非常に深入りしていって、これは非常に面白いって興味を持つようになったんです。
間 昔というか、67〜8年頃から聴いていて、昔は1晩聴かないと彼の個性みたいなものが判らないという感じがあったけど、これはさっき殿山さんがおっしゃったことに通じるんですが、今はジャズ喫茶の演奏でもいいソロを1曲でいいことあるんです。そういう意味でかなり変わってきたと思うんです。
清水 殿山さんはいつ頃からお聴きになっているんですか。
殿山 僕は「ニュー・ジャズ・ホール」時代、副島さんのやっていた。いっぺんに好きになりましてね。
清水 ああ、そうですか、それまでは彼はどういうこと演っていたんですか。
殿山 それは知らないですね、僕は。
間 67年頃に山下(洋輔)が復帰した時に最初に演りましたね。その前に、山下が病気で倒れる前には、山下と武田和命、それからタイコが豊住(芳三郎)だったかな。下の「ピットイン」で演ったり。自分のトリオを組んだのは68年ですか。
清水 「サマー・ジャズ」ですか、日比谷でやったのは。あの時は高柳(昌行)さんとでしたかね。
殿山 ええ、ええ。
清水 あの時、僕は2度か3度目だったんですよ。それで、ああ、こういうことを演るミュージシャンがいるのかなってちょいと嬉しくなったんですね。
殿山 高柳とは「ニュー・ジャズ・ホール」でも演ってました。
清水 ああ、そうですか。
間 あの時は、2つかけもちでね。自分のトリオと。「ニュー・ジャズ・ホール」に上がる前は富樫とE.S.S.G.で演ってたんですね。
清水 例のベース・ソロのレコードを出したバール・フィリップスの対談を読んでましたら、「僕は60年代まで主流のジャズを非常に上手く弾いた」というんですね。ところが「60年代になってから休んだ」というんですよ。というのは「もう他人の音楽を演る必要がなくなった」と。それで「あとは自分自身の音楽を演るしかない」と。そういうわけで彼は「再び15年前に戻った」というんですね。そういう意味じゃ、吉沢さんというのは、持って生まれた自分自身の音楽を演奏するというようなかたちで生まれてきた典型的な人じゃないかなという感じがするんですが…。僕は最初の頃は知らないんですけど。
殿山 セロは演らなくなったんですね。
間 演りませんね。昔は彼もいろんな音が欲しくて、笛とかいろいろ演ってたんですけど、それはある意味でイージーなんじゃないかっと。それでベース1本でできる限りのことを演ろうと変わってきたらしいですけど。チェロはもう売っちゃいましたよ。
殿山 ああ、そうですか。
間 チェロも面白かったですけどね。
殿山 ええ。
清水 僕はこれからまたそういうことをね、チェロも演るし、笛も、いろいろ演るということをね、あんまり自分の世界に閉じ込もらないで。いゃ、1つの世界に閉じ込もらないでもっと拡げていってもいい時期じゃないかという感じも一方ではするんですけど…。
間 そろそろそう思いますね。
清水 もっとも、彼は「インスピレーション&パワー」で〈インランド・フィッシュ〉というタイトルを例の曲につけていますが、これほど彼自身の音楽をよく表している言葉はないんじゃないかと思いますがね。
間 昔、69年頃ですが、どこかの喫茶店ですけど、上で平岡(正明)がハンガー・ストライキやっててね、下では吉沢と阿部薫のデュエットを演ってたらしいんです。で、平岡がハンガー・ストライキ止めて下へ降りてきたら、ちょうど吉沢さんがベース・ソロを演ってたらしいんですよね。あとで「読売新聞」か何かで平岡が「吉沢のソロを聴いて初めてブルースが判った」というようなことを書いてるんですけど、これは非常に面白いと思うんです。吉沢さんて非常に日本的なものを持っているところがあるんですね。しかも、昭和6年ですか、8年かな、生れは。伊豆で育って敵機の来襲をよく見てて、進駐軍が来た時にアメリカ人が憎くて仕方がなかった。でもアメリカの文化みたいなジャズに魅かれていった矛盾を書いてましたね。自分がショックだった体験というのは、ある日、ソロでパッと埋没していった時に突然、「君が代」や「佐渡おけさ」とかそういうメロディがどんどんでてきたらしいんです。で、あとでテープ聴いて「これはどういうことなんだろう、ヤバイ」というんで、そこからソロの演り方を考え始めたらしいんですけどね。最近の彼の演奏を聴くと、それが、いろんな矛盾がコントロールされているというか、そういう良さがでていますね。
殿山 「ニュー・ジャズ・ホール」の時に、月に1回か週に1回か(佐藤)允彦が全員集めた、まあ、允彦が集めたんじゃないけど、高柳とか沖(至)とかが入った……
間 ああ、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ」ですね。
殿山 ええ、「コンポーザーズ」。あの時の吉沢は、僕は良かったと思っているね。

●「CODA」が激賞した
間 日本のいろいろなジャズの流れってありますけど、そういう面から考えると吉沢さんてどういう感じなんでしょうね。
清水 吉沢さんは〈インランド・フィッシュ〉っていってますね。ミュージシャンだから、誰だって皆に聴いてもらいたいと思うだろうけどね。だけど自分で演っているうちにいつの間にか主流的な戦列から離れて、自分自身の道を歩いていたというミュージシャンて意外といると思うんですね。たとえば、スティーヴ・レイシーだって自分のグループでも演ってるけど、やっぱりそうだし。ポール・ブレイだってある意味じゃそうだし。何ていうかな孤独な道を進む人だから、それをいきなりグループを作ってやれっていうのは全然その人の気持を考えないこっちの身勝手な希望だけですけどね。だけど、彼はもうかなり内陸の方へどんどん遡っていったと、いや内海ですか、内海へ遡っていったと思うんですよね。日本のベーシストであれだけのものをベースでうち出せる人はちょっといないと思うし、そこまで行ったと思うんだ。それを続けることはいいけど、それ以外に今度はもう少し拡げていくような、別のいい方をすれば、自分がつくりあげたユニークなソノリティをグループのソノリティにするような試みをやってもいいんじゃないのかな、という気がするわけです。
ところで、僕は非常に野暮な聴衆なもんですから、コンサートでも何でも聴きに行く時には、まるで何かこう対決しに行くみたいな気持で聴きにいくわけです。もっとも、楽しもうという気持は充分にあるわけですが、つい構えちゃう。ところが吉沢氏もある意味では構えるミュージシャンだと思うんです。そんなわけで僕なんかの場合は「ますます構えちゃうんじゃないかかな」と思っていたんですけど、不思議にあの人だと彼が構えれば構えるほど(?)何かこっちがかえってスムーズに入っていけるものを感じさせるんです。それはやっぱり彼の持ってる何かがそうさせるんじゃないかと思ってね。僕が吉沢さんに興味を持った理由のひとつは、そんなところにあるんです。
間 ソロ演ってるといろんな人が“もの”を書いておいてったりすることがあるらしいんですけど、それが千差万別で面白いんですね。ある人は「あなたのソロ聴いてると水上勉の小説を思い出した」とか、ある人は「非常にアバンギャルドの実験映画を見ているような気がする」と。そういう2つの要素が彼にはあると思いますね。
殿山 僕は吉沢がまたトリオをつくったり、何かそういうところへは行かないんじゃないかという気がしますね。今のやり方を度どういう風に発展させ、花を咲かせていくのかというのが僕には楽しみですね。この前のリサイタルの時には感じなかったけど、ドラム入れても邪魔になってくるんじゃないですかね。あいつのベースには既にそういうものがあるんじゃないかという気がするんです。
清水 それはそうですね。
間 僕はさっき清水さんがおっしゃったように、ベースとしてはあそこまでいったユニークな人はそういないと思うんですよ。世界中でも。たとえば、ああいうのを外国の人に聴かせたらどう思うか興味があって、さっき話にでてたスティーヴ・レイシーとか「ジャズオット」誌のローラン・ゴデーとかに《トリオ》からでた「インスピレーション&パワー」を持っていって聴かせたんです。あのレコードには8グループは行っているんですけど、それを全部聴いてもらってどれが1番印象強いかというと皆同じことをいうんですね。「吉沢のベース・ソロ」と「富樫のタイコ」がスゴイというんです。そういう話を聞いて帰ってきたら、たまたまカナダの「CODA」というジャズ雑誌に「インスピレーション&パワー」の批評がのっていて吉沢をすごくほめてるんですね。
清水 ええ、「コーダ」の12月号(1974年)に、新宿のフリージャズ大祭の実況録音「インスピレーション&パワー14」の非常に詳しい―日本語にしてペラで24、5枚くらい―、しかも大変好意的なレコード評がのっているんですが、中でも吉沢の〈インランド・フィッシュ〉と富樫雅彦/佐藤允彦の〈レミニス〉に再考の評価が与えられているんです。〈インランド・フィッシュ〉に関する部分を簡単に訳してみますと『ベース奏者の主な役割は、ジャズ史のどこにおいても、つねに他のヴォイスをサポートし、引き立たせることにあったわけで、自らの権利でソロイストになることは決してなかった。アンサンブルの底辺でコードを述べるにしても、ホーンのまわりでメロディックな装飾を行なうにしても、いずれにせよ基本的なリズムを維持し、演奏に統一を与える要素として役立ってきた。もちろんソロをとることもあるが、その場合でも、ベース奏者の連続的なサポートの手腕を立証する、といった範囲を出ることはなかった。こうした不幸な伝統が崩されはじめたのは、オーネット・コールマンのもとにいたチャーリー・ヘイデンとスコット・ラファロ、およびコルトレーンのもとにいたジミー・ギャリソンなどによってである。しかし、自由になったベースによる最初の力作は、わずか4年ほど前にレコーディングされたバール・フィリップスの《Unaccompanied Barre》(『無伴奏のバール』)である。吉沢の〈インランド・フィッシュ〉は、それにつづく2番目の文句なしの傑作といえるだろう。これは見事につくり上げられた、柔軟性にとんだアルコ・ベースの彫刻ともいうべきもので、この楽器のもつ音色やメロディやリズムの微妙さを探究しながら、それらをアイラー的な次元に向って爆発させている。フォームの点でも複雑な構造をもっていて、かなり唐突なエンディングを除けば、完全な出来栄えを示している。彼は素晴らしいパワーをもち、自分の心と自分の楽器をまったくユニークに支配しているインプロヴァイザーだ。』ざっとこんな調子ですが、アルバム全体については『このアルバムのたくさんの音楽は、それぞれに自己のルーツをはっきりとさし示しており、演奏家の大半は有能で、パワーフルなミュージシャンである……』として、最後のこう結んでいます。『フリー・ミュージックと即興的なスピリットは、ヨーロッパでのように、日本でもいきいきと、申し分なく行きつづけており、アメリカでのように隠されてはいない』。

●金持ちになっちゃダメだ
間 殿山さん、デイヴ・バレルと演った「ドリームス」はお聴きになりましたか。
殿山 まだ聴いてませんが。
清水 じつは昨日改めて聞き直したんですけどね、なかなかいいデュオだと思いますね。というのは、その前にバレルがシェップと来た時に《トリオ》でレコーディングしたんですよ。それを聴きに行ったんですが、あまり調子良くなかったようだな。
殿山 ソロですか。
清水 ソロです。
間 アーチー・シェップの時はいたたまれなくなって1部で帰ったんですよ。ところが吉沢さんとのデュエットでは昔の片鱗と新しい可能性とが強く感じられたと思いますね。
清水 そうですね。それはもう実に良く感じられたと思いますね。
殿山 そのデュオ聴きたいなあ。
清水 A面から〈レッド〉と〈ブラック〉と〈グリーン〉と1つの組曲のような形でB面の前半までやって最後にエリントンの「デイドリーム」で終るんです。両面とってもいいと思うんだけど、特にエリントンがいいですね。あれで感じるのは、吉沢さんのベースというのはある意味でベースをサックスみたいに使っているんですね。あそこにいわゆる「叫び」みたいなものを感じるんだけど、それがだんだん昇華されて唄になっていく感じがあってその点がすごく魅力的だったなあ。この前のコンサートでも、最初ですか、メロディだけ歌うようなあれね。あれは前からやっぱりいろいろ……
殿山 そうですねえ、チェロで演ったりなんかしてたからねえ。
清水 池袋の「フリーポート」の月例で聴いた可愛いメロディの曲が非常に印象的で、あれがコンサートの初めの部分に生かされていたようですね。
間 「ロブロイ」でフォービートの聴いたことありましたね。
清水 そうそう、カルテットで演ってましたね。これがえらくスイングしてましてね。彼もゴキゲンで演ってましたね。
間 彼もニュージャズを演るまでは最も黒っぽいベースと評判だったんですね。そういうのを否定していって1つの道を見つけたというの面白いと思いますね。
清水 そういう意味で、僕がさっきバール・フィリップスの言葉を思い出したのも、そういう過程があったんじゃないかとなと考えたのと、もう1つ、ああいうスイングするヤツを聴いたからなんですね。
殿山 ピアノも大変だろうけど、ベース・ソロっていうのは僕は大変だろうと思いますね。
清水 それはたしかに1番大変でしょうね。妙な言い方ですけど、普通、内部に遡れば遡るほど道がせばまってきて閉じ込められやすいものですが、逆に彼の場合はかえって気持が拡がってくるような感じがありますね。
間 僕も嬉しかったのは、スティーヴ・レイシーにレコード聴いてもらって、彼は自分から「このベーシストはスゴイ」っていって。「これは譜面に書いた音楽を演っているのか、即興なのか」っていうから「即興だ」っていったら「即興でこれだけやるのはスゴイ」っていってましたね。
清水 僕が驚いたのは、デイヴ・バレルとのデュオ聴いていて、バレルが嘘みたいに生き返ったなと感じたのと同時に、かえってバレルを圧倒しちゃって、バレルがワキにまわっているようなところもあって、ヘェーと思いましたね。
間 面白いのは、リハーサルの時かなりモメたんですが、本番になると吉沢さん「コンチクショウ」という感じになって「アメリカ進駐軍」て感じになって……それは非常にたのもしいと感じましたね。
清水 何か判るような気がする。
間 僕、そういう意味でもいろんなレベルの矛盾をかかえていて、それを音楽の方で昇華しているというか、制御している人はあまりいないんじゃないかと思うんです。それはブローイングのテクニックを身につけるとか、際立たせていくというミュージシャンはかなりいますがね。そういう自分の中の矛盾を制御していくというか押さえ込んでいくっていうか、その中から自分の唄を発見しようというそういう人はあまりいないような気がしますね。
清水 だから、たまに「吉沢のベースはテクニックがない」とかなんとかきくことがあるんだけど、実はそうじゃなくて、彼の自分の考えを述べるためにテクニックはものすごく流暢なものがあると思うんですがね。
間 それは、さっきの「コーダ」で評価されているというのも、単にテクニックとか何かで評価するのはナンセンスだといわれているようで面白いんですがね。
殿山 吉沢さん自身は今後どうやっていくっていってるんですか。やっぱり1人でやっていくっていってるの。
間 1人でやっていくっていってますね。ただ、1人でやっていくのは恐い時があるといってますね。それは、いみじくも清水さんが言われたように自己閉鎖的になって出口がなくなるのが恐いって、でもやっぱりそれに耐えていくしかやりようがないとね。以前はソロでずっと演っているとたまにグループで演ってるところにとびこんでジャム・セッションみたいなことやってないと気が落ち着かないとかあったらしいんですが、最近はそんなこと必要なくなった、なんていってましたね。
殿山 僕は緑魔子との時のテープ送ってもらったけど、でもそういう風には感じなかったけどね。
間 吉沢さんはストイックな感じしますか。外見はそうでもないけど(笑)。
清水 初めて聴いてからずいぶん長い間置いて間君に紹介されて直接会ったり、演奏聴いたりすると、ストイックというか、シーリアスというか、それがまったく堅苦しくなくストイックであるしシーリアスである。そこが彼の魅力だと思うんですね。
殿山 ええ、ええ。
清水 要するに、さっき僕がいった、構えちゃうってのが何にもならなくて、スーッと入っていけるというのも、そこに何かあるんじゃないか、そこに彼の音楽を支えている根本的なものがあるんじゃないかと思いますね。
間 話が前後しますが、ヨーロッパから帰ってきて吉沢さん聴いたんですけど、アルコで1つの音を40何回繰り返したんですね。それで、あとで「あれはもう止めようか、次のフレーズに行こうか考えながら演ってるのか」ときいたら、「そうだ」というんですがね。「止めたい、止めたい」という気持と「続けよう、続けよう」という気持とで「地獄だった」といってましたが、その40何回同じアルコをきいて僕は非常に感動しましたね。その時、まさに吉沢の葛藤が見える思いがして、それがある時は唄に上昇して行ったりするんだなぁという気がしてきましたね。
殿山 吉沢が前に1度僕に「やっぱり金持ちになっちゃあ駄目だよなぁ」なんていってたけど、これは―僕はジャズはハングリー・ミュージックだなんて思ってないですけど―いろんなことに通じる言葉だと思ってね。そういうことがいえるようになった、成長した、と思って嬉しかったんですけどね。僕は吉沢がどういう生活しているか知らないけれど、常にそういうところに身を置いて音を創っていくことはたいへんいいことだと思ってるんですよ。ええ。
清水 そういうミュージシャンは他にもいると思うんですが、とにかくあれほどの腕をもっててああいう生き方しているってところに僕は非常に魅せられてしまうんです。
殿山 昔ガンバってたミュージシャンなんかとは時々TVのスタジオなんかで会うんですよ。彼らにしてみれば何時でも自分の音だして、自分なりに考えてやってるんでしょうけど、こっちにしてみれば何か悲しくなってくるんですよ。特にミュージシャンの場合はね。
間 いよいよガソリン代払えなくなったって、ベース運んでたバン売っちゃいましたよ。
清水 頑としてそういうものに対しては決して妥協しないであくまで自分を守っていくっていうのは、また逆にいうと、ああいう生き方をするしかないってことですよね。それを甘受してやっていくってことが彼の素晴らしさですよね。針金細工で生活費かせいだり、時には地方を行脚して歩いたりってのはすごく魅力的だねえ、これ、やろうと思ってできることじゃないもんな。
間 僕なんか彼の生活って非常にうらやましいんですね。彼の家にいくと、いろんなおもちゃとかプラモデルとかガラクタが目の前に転がってて、1人の時はベースを見てたり練習したり、手を触れないでベースを見てて負ける時とか勝ってる時があるなんていう勝負を毎日してるなんていってましたけどね。
清水 ロスコー・ミッチェルがこんなこといってるんだ。「これから音楽というものはなくなるだろう。もちろんミュージシャンはいる。だけど、ステージに出て演るとかいうんじゃなくて、家族の前や友達の前で演奏するだけだ。そういう時がくるんじゃないか」。吉沢氏なんかまさにそういうところをフッキレちゃって先取りしてる感じがあって、そこが魅力的だな。
間 練習場所がないから、夏になると彼は家の近くの公園でベース弾くんですよね。そういう時に殿山さんとか、清水さんとか、植草さんなんか友達が来て聴いてくれるだけでいいんだなんていってましたけどね。蚊がどんどんきましてね、面白いですよ。
清水 そういう意味じゃ、彼はモノを創るってことを日常化させちゃってるような感じでね。
間 うらやましいと思うのは、都会の只中にいてああいう生活を、しかもドン・チェリーみたいにああいう場所を用意して逃げるというか確保するんじゃなくて、東中野あたりのアパートにいて、しかもああいう生活をしている、それが彼の音楽性につながっている面ですね。
清水 たとえばドン・チェリーのような生き方も素晴らしいと思うけれども、むしろ今必要だというか、僕らに問題になるというのは都会の中でいかにそういうことをやりぬくかということでね、そういう意味じゃちょっと例がないんじゃないかな。
間 この前むこうへ行った時きいたんですけど、バール・フィリップスは最近世の中おかしくなっちゃったんでベースを捨てて田舎に引きこもっているらしいですね。
清水 またバール・フィリップスのことになるけど彼はこうもいってるんです。「私はコントラバスがそれ自身で唄うためにその楽器のあらゆる器楽的な可能性を探求する。で、もし私が50か60になってコントラバスで完全に自己を表現するに至ったら私はベースを捨てて百姓にでもなるんだ」って。
間 吉沢さんはもう43になるのかな、演奏のあとなんかで、あと10年かな20年かななんていってますよ。筋肉だけは自身あるけどなんて。
清水 彼があそこまで音を創るためには大変な修練をしていると思いますね。
間 少なくともベースソロだけで4年半になるでしょ。そういうのも例がないんじゃないかな。
殿山 4年半になるのね。
清水 演奏の前にベースを構えたり、体操をやったり、指をポキポキやってるよね。あれ初めて見る人はわざとらしいって思うかもしれないけど、彼にとっては実に当然のことでねえ。あそこまで気を配って楽器に向かう気持っていうのはえらいなぁと思うんだ。普通だったらできないんじゃないかね。それだけ音楽に対して配慮があるってことでね。

●スティーヴ・レイシーと共演!?
間 最近よく感じるんですけど、孤立しているミュージシャンが多いでしょ。ブラクストンにしてもいろんな人とやるけども孤立しているって感じするし、デレク・ベイリー、スティーヴ・レイシーにしても、もちろんグループでも演るんですけどね。ポール・ブレイだっていろんな形で演るけどやっぱり孤立してるって感じがありますしね。時代的な相があるんでしょうね。
清水 そういうことは感じるね。ドルフィーだってそういうところあったんじゃないですか。
間 そういうとコルトレーンもそうじゃなかったかという感じがしますねえ。
清水 そりゃまあね。
間 スティーヴ・レイシーが吉沢さんと演りたいといってるといったところ、彼はそれが念願らしくて。それが今年の6月に実現しそうなんですけど、そうなったら僕はこれ以上嬉しいことはないですね。
殿山 吉沢のコンサートの予定はあるの、近く。
間 月に2〜3回普通のジャズ喫茶で演らしてもらってるんですけどね。ナマ中心のところじゃベースソロじゃ駄目だっていわれるらしいですよ。トリオでも組んだらすぐだしますって。
殿山 じゃ、トリオですっていって、ぜんぜん何もできないヤツ2人連れてって1人で演ってればいい(爆笑)。
清水 そりゃいい、そりゃいい(笑)。
間 それいいなあ、それ教えよう(笑)。

after[AA](c)2006 after AA