ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録ライナーノート
V.A.[ワイルドフラワーズ/ニューヨーク・ロフト・ジャズ・セッション2](1977年10月)
日本フォノグラム RJ-7307

ワイルドフラワーズ2 Side One
1. ザ・ニード・トゥ・スマイル
フライト・トゥ・サニティー[ハロルド・スミス (ds), バイアード・ランカスター (ts), アート・ベネット (ss), オル・ダラ (tp), ソネリアス・スミス (p), ベニー・ウィルソン (b), ドン・モイエ (conga)]
2. ナオミ
ケン・マッキンタイヤー (fl), リチャード・ハーパー (p), アンディ・ヴェガ (conga, perc), アンドレイ・ストロバート (perc)

Side Two
1. 73°-S ケルヴィン
アンソニー・ブラクストン (as, cl), ジョージ・ルイス (tb), マイケル・ジャクソン (g), フレッド・ホプキンス (b), バリー・アルトシュル (ds), フィリップ・ウィルソン (perc)
2. アンド・ゼン・ゼイ・ダンスト
マリオン・ブラウン (as), ジャック・グレッグ (b), ユマ・サントス (ds)
3. ロコモティフ NO.6
レオ・スミス (tp)&ザ・ニュー・デルタ・アークリ[オリヴァー・レイク (as), アンソニー・デイビス (p), ウェス・ブラウン (b), ポール・マダックス (ds), スタンリー・クロウチ (ds)]

1976年5月14〜23日 ニューヨーク、スタジオ・リヴビーにて実況録音
制作:アラン・ダグラス、マイケル・カスクーナ
監修:サム・リヴァース

■「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」の個有性

 ロフト・ジャズ・ムーヴメントをありていに70年代の現在のニュー・ジャズ展開だと言うことは必ずしも当らないと思えるが、しかしそれが今日における最もダイナミックな新しいジャズの展開であり、最もヴィヴィッドなジャズ情況を浮かばせるジャズ動向と局面である事に間違いはない。確かにこの74年から76年、そして今日への「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」を例えば「ジャズの10月革命」と比較した時には、かつてのアイラーやセシル・テイラーやミルフォード・グレイヴス、ビル・ディクソンといった強力なミュージシャン=イデオローグが見当らないし、又それがそれ以前のジャズから際立っている新しいフォーマット、過激な新しさは見られないかも知れない。しかし、そういった比較論は或る意味で妥当性を持っているとはいうものの、或る意味ではひとつの固定観念的とらわれの域からくる非妥当的なものだとも言わねばならないだろう。ロフト・ジャズが現わす局面は確かに過激さとかラディカルさにおいて既成のジャズの否定や破壊を目指すものというよりも60年代中期のあの「ジャズの10月革命」前後からの創造的活動のあらゆる多様な現われの内実と成果を具体的に検証し統合し、そしてより確かさの上に生み出しとらえ直そうとする動向を示しているように思われる。こうした動勢は無論ジャズのみならず、今日の政治情況や、とりわけ黒人の社会情勢、黒人の意識の変化と密接なかかわりを持つものである。つまり60年代が否認と抗議、そして破壊の時代であったとするなら、70年代は具体的な方法での具体的な検証と確認と建設の時代であるという一般的を社会情勢なり社会意識は特に黒人の場合非常にはっきりした形であると言えるだろう。一頃のラディカルな政治組織が、武装闘争から黒人大衆コミュニティー作りへと実践の方向を転じていったように、黒人達の意識にはこれまでの闘いで得たものや成果を具体的を確認と建設へ向けて組織しようという極めて現実的な姿勢があり、こうした黒人達の意識の変化と在り様ははっきりと具体的な形で「ロフト・ジャズ・シーン」にも現われているからである。「ロフト・ジャズ・シーン」の中核を成すミュージシャンは実に多様なもの同士の並存或いはからみ合いとしてある。シカゴAACM出身の多くのミュージシャン、セントルイスBAG出身の多くのミュージシャンが、さらに彼等よりひとつ前の世代のニュー・ジャズ第一世代とも言うべき人達や、そして各地からやって来た全く新しい世代のミュージシャン、そしてさらにはニューヨークを永年活動の地として自主的を運動と演奏活動を行なって来た人々と共に生み出したのがまさに今日いうところの「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」なのだが、そこで見られるのは理念やコンセプトや運動論や行動原理のぶつかり合いというよりも、もっと相互的な敬意や和解や容認による共存と共同的な発展といったおだやかな創造への意識がある。だからそれは共闘というものより、一種の親和力統一戦線、独立戦線というものより一種の連合戦線的な共同意識があるように思われる。この「ワイルドフラワーズ」を見てもわかるように、かなりオープンなミュージシャン同士の交流が少なくとも76年の終わりまでは確かにあったのである。そして「ロフト・ジャズ・シーン」には「ジャズの10月革命」時にはあったような切実さや深刻さやラディカリズムがないが、それらのなさというものは欠如しているというよりももっと違う地平においての豊かさであるという事も出来るかも知れない。我々はだからこう した切実さや深刻さやラディカリズムが「ロフト・ジャズ」にないからといって、それが欲求と必然から生まれた注目すべきムーヴメントではないなどと決して言うことは出来ない。「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」は、それよりも様々なミュージシャンやグループの多様な現われとその局面において確かに或る発展を遂げつつあると言えるのだ。それは先ず第一にグループ・コンセプトヘの強い関心とその発現としての自覚的なグループの登場としてあるだろう。 例えばこの『ワイルドフラワーズ』の中に演奏を収められたグループを考えてみても「アンソニー・ブラクストン」にせよ「エアー」にせよ、「オリヴァー・レイク」「ジュリアス・ヘンフィル」にせよ「ハミエット・ブルイエット」にせよ、そこにこうしたグループ・コンセプト追求の具体的現われを見る事は常に可能であるし、さらにはここに収められてはいない「ルボルーショナリー・アンサムブル」等においてもそうした関心の現実的あらわれを見る事が出来るだろう。「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」の固有性のひとつとしてこうした「グループ・コンセプト」「グループ性」の追求という志向は決して見逃し得ないものである。

SIDE ONE
1. 「フライト・トウ・サニティー」
 「正気への飛行」という名前を持つこのグループの成立に関しては余り良く知らないが、75年の秋頃から不定期に活動しているグループである。メンバーもリーダーのハロルド・スミス (ds)とソネリアス・スミス(p)、ベースのベニー・ウィルソンを除いて不定で、その時々にゲストを加えての演奏晴動を行なっている。ロフトにはこういう活動の仕方をするグループが多く、この『ワイルドフラワーズ』には収録されなかった「ウインズ・オブ・マンハッタン」にせよ「ヒューマン・アーツ・アンサムブル」にせよ中心のミュージシャンを除いていつもメンバーはそのつど変わった複数のミュージシャンを加えた形で演奏を行なっている。「フライト・トゥ・サニティー」のここでの演奏はR&Bリズムによるアーシーな感じのするものだが、それがいわゆるクロス・オーバーのファンク・ミュージックと違うのは、リズムを規制性としてそれに受動的になるというのではなく、スペイシーな連続的エレメントとしている点にあり、演奏も自由に行われている事だろう。ソネリアス・スミスのピアノとハロルド・スミスのドラム、ベニー・ウィルソンのベースがのびやかで演奏にひろがりを与えているのが興味深い。こうした感じの音楽は「ロフト・シーン」の一角に確実にあり、ひとつの新しさを成している。

2. ケン・マッキンタイヤー
 第1集についでのケンの2曲目は彼のフルートによる演奏だ。非常にリリカルなプレイでケンのテクニックを充分にかいま見せてくれるトラックではあるが、バックのミュージシャンの演奏のせいか平凡の感もいなめない。だがケンのフルートのサウンドの美しさは見事だというものの深さとダイナミズムに多少欠けている気もする。ケンは色んなタイプの曲をなんなくクリアーにこなす能力は人並はずれており、どの楽器にもたけているが、彼の音楽の方向なり志向というものが幾分曖昧な気がするのである。しかしフルートの音色だけをとって見ればやはり彼が最上級の奏者である事を示した演奏である。

SIDE TWO
1. アンソニー・ブラクストン
 「フェスティヴァル」期間を通じて一番のハイライトを成したグループである。ブラクストンは彼のレギュラー・グループで活動するかたわら常に色んなミュージシャンを加えたセッションも行なっているが、この日の演奏は彼のアルトによるハードな演奏同様にマイケル・ジャクソン (g)とフレッド・ホプキンス (b)、ジョージ・ルイス (tb)の3人の新鋭ミュージシャンの演奏が非常に鮮やかで印象的である。それにフィリップ・ウィルソンのパーカッションも非常に空間的でさえている。やはりこの第2集中のベストというべきトラックだろう。近年のブラクストンはオーケストラから様々なセットまでの多様な実験をそれなりに発展させていて常に話題のミュージシャンだが、この演奏のようにサイドのミュージシャンにめぐまれた時の小規模のセットが一番、演奏展開もダイナミックでスポンティニアスなようだ。ジョージ・ルイス、マイケル・ジャクソン、フレッド・ホプキンスという共に20代の才能あるミュージシャンの存在が強烈に残る演奏である。そしてこの3人こそが、例えば「ロフト・ジャズ」の新世代の最良の部分を代表しているとはっきり言う事が出来る。

2. マリオン・ブラウン
 「ジャズの10月革命」の中心人物の1人でありブラウン/バートン・グリーン四重奏団でのデビュー以来最もクールな知性を代表して来た先鋭的にしてとぎすまされた感覚を持ったミュージシャンであるブラウンについては多言を要しないであろう。最近の2枚『ヴィスタ』と『アオフォフォーラ』では彼のポップ的転身がとかく言われたものであったが、危機的なリリシストであり、常にサウンドとトーンカラーの変容とダイナミズムに自己の演奏行為をかけているマリオン・ブラウンのアルトは変わらず張りつめた美しさをそこなう事がない。ここでの演奏は本来はソロと言うべきものでサイドの2人の演奏は最後の15秒間位に効果音的サポートとして行なわれているに過ぎない。このマリオン・ブラウンのソロは彼にとってはじめてのレコーディングに当るものだが、ここでの彼は通常行なわれて来たサキソフォン・ソロのフォーマットのように構造展開や構成力(例えばロスコー・ミッチェルと又別な意味でブラクストンのソロを思い浮べてほしい)によって遂行されるのでも、又エモーションを基点として成されるのでもなくアルトのサウンドとトーンの自発的な変化の流れにそってスポンティニアスに演奏を行っている。この演奏を良く聴く時、何にもまして自分の吹くアルトの音に耳を傾けているマリオン・ブラウンの姿が浮ぶが、決して派手なプレイではないにも関わらず、内省と自己注視とを感じる優れた演奏だと言えるだろう。そしてこのソロを通じて浮かび上って来る彼の位相、一種ソフィスティケーションヘの反抗にも見えるラフさは、マリオン・ブラウンの現在と微妙な変化を教えて興味深い。

3. レオ・スミス&「ザ・ニュー・デルタ・アークリ」
 レオ・スミスはシカゴAACMの創立時のメンバーであり、やはりAACMのレスター・ボウイと共にトランペットの新しい地平を生みだしたクリエイティヴなミュージシャンである。60年代にはモーリス・マッキンタイヤーとのグループ、そしてブラクストン、ルロイ・ジュンキンス、ステイーヴ・マッコールと共に「CCC」(Creative Construction Company)で集団即興演奏の新しい可能性を追求した。又彼は「即興音楽」の理論家でもあり、彼に「即興音楽/世界音楽」という著作があることは今日では広く知られている。彼が自己のグループ「The New Delta Ahkri」を結成したのは75年ですでに自己のレーベルから2枚のアルバムを発表している。このグループだが、最近はオリヴァー・レイクとポール・マドックスを加えて自主的な活動を持続的に行なっている。ここでの演奏を聴いても判るように彼は現代音楽とのフォーマットといわゆるポスト・フリー的なグループ・コンセプトの間に集団即興演奏によってひとつの道をひらこうとしており、その独自の演奏作業は注目すべきものである。ピアノのアンソニー・デイヴィスは弱冠25才の新鋭だが非常に鋭い感覚とクールな表現力を持っており、このグループの明らかにひとつの中心と成り得ている。この「The New Delta Ahkri」は「ロフト・ジャズ・シーン」の他のグループとは少し離れた所に彼等個有の活動形態と音楽性を持っているのだが、こうした個有の音楽領域を目指すグループの存在はまたしかし「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」の領野の広さと質を生みだしているひとつの力となっていることも確かである。



■ロフト・ジャズ・シーンと新しいミュージシャン群像〜「ワイルドフラワーズ・セッション」

 1975年の春、ニューヨークは新たをピークを迎えることとなった。イースト・ヴィレッジのロフトを中心として、まさに様々なミュージシャンが結集し、かってない活況を呈していったのだった。そして1年後の、76年春、そのピークをシンボライズするかのように2つの重要なフェスティヴァルがロフトで行なわれた。そのひとつは「スタジオ・リヴビー」で5月にl週間行なわれた「スプリング・フェスティヴァル」であり、もうひとつはその1月後「レディス・フォート」で行なわれた4日間の「スペシャル・フェスティヴァル」であった。そしてその規模から言っても又それが果たした画期的役割から言っても、多くの優れた新人を紹介するという務めを充分に発揮した点から言っても、さらにはロフト・ジャズ・シーンの盛り上りの最大の契機となった点から言っても「スタジオ・リヴビー・スプリング・フェスティヴァル」はまさに鮮やかな開示的コンサート・シリーズであった。実に29グループ87人のミュージシャンがこの「フェスティヴァル」に参加し、まさにロフト・ジャズ・ムーヴメント最高の高まりをはっきりと成したのだった。この「フェスティヴァル」を通して〈新しい世代〉の台頭と〈新しい波〉の登場が鮮やかに告げられ、そしてまさに〈新しい季節〉がその全貌をはっきりと浮かび上らせたのであった。確かにあらゆる意味において、この、76年春「スタジオ・リヴビー・フェスティヴァル」は重要でエポック・メイキングを「フェスティヴァル」であった。そしてこの1週間の29グループの演奏をアラン・ダグラスはサム・リヴアースの協力でまるごと全部レコーディングしたのだった。それをまとめて5枚にわけて編成したのが本『ワイルドフラワーズ』シリーズである。この5枚のアルバムの中には20グループ22曲の演奏が収められているが、この5枚こそは現在ロフト・ジャズの全体をとらえようとするに最も鮮やかな記録でありロフト・ジャズ・シーンを考えるにつけ最高のドキュメントと言えるものである。今までニュースのみは多く伝わったとは言うものの、実際の演奏は断片的に切れ切れにしか聴くことの出来なかった「ロフト」のミュージシャン達の演奏が、このシリーズで始めてその全貌を浮かび上らせるに違いない。その意味では歴史的な記録と言うべきものである。
 私はこの「スプリング・フェスティヴァル」の期間中ニューヨークに滞在し、丁度後半4日間の演奏を聴く事が出来た。1日に4から5グループで、大体1グループ45分から1時間演奏しコンサートの終るのがいつも2時過ぎだったのを覚えているが、その時将来このフェスティヴァルを丸々録音していたアラン・ダグラスがどういう形でレコード化するのか考えたものだった。1日4時間としても28時間におよぶレコーディング時間は、LPにしたら42枚分にもなる量だが、それをこうして5枚に収めるに当たっては(1部は単独でリリースされているとは言え)大変苦労したと思われる。
 「フェスティヴァル」を通じて、又この『ワイルドフラワーズ』5枚のアルバムを通じて新世代のミュージシャンとして浮んでくる人達と彼等の演奏について、またフェスティヴァルを通して考えられる特徴的な事柄について触れてみたい。先ず新人だが特に注目すべきミュージシャンをあげてみよう。先ずこのレコーディングがデビューであるデヴィッド・マレイだが、彼は4グループに参加して活躍している。彼のテナーは実に良く鳴りのびのびとしていて、それだけでも彼が大器であることをうかがわせている。そして次にベースのフレッド・ホプキンスだが彼は何んと6つのセットに参加していて若手ベースNo.1の名前をほしいままにしている。実際彼のベース・ワークは非常に新鮮で新しい感覚に満ちているのだが、彼の多用はひとつにはニューヨークのベースの人材不足を示すものでもあるとも思われる。次はギターのマイケル・ジャクソン。彼は3つのグループで演奏しているがやはり今までのジャズ・ギターのスタイルを超えた新しいフレージングを有している。新人ではないがその次にどうしても触れないわけにはいかないのがドラムのフィリップ・ウィルソンで5つのグループで演奏しているという事以上に、この『ワイルドフラワーズ』でも聴くことの出来る他のドラムの多くは彼の空間的・点描的なドラミング・スタイルの影響を受けている。今日のロフト・シーンを代表するドラマーと言ったらいろんな意味で先ずどうしても彼になるだろう。それからアンドリュー・シリルのグループでテナーを吹いているデヴィッド・ウェアーだが、このロフト・シーン最強力のサックス・プレイヤー(25才の若さである)、新世代を代表するテナーもこのセッションが本格的なデビューと言えるものである。その他にもこのシリーズでスポットをあびるであろうニューヨークの〈新しい波〉〈ロフトの新世代〉を担い、体現し、又代表するのであろうミュージシャンがたくさんいる。ブラクストンと共演している瞠目すべきトロンボーン奏者の新鋭ジョージ・ルイス、2つのセットに参加している新しいチェリストアブダル・ワダド、前にも述べたミニ・シアター「ラ・ママ」の主催者でニューヨークのセントルイス出身ミュージシャンの中心的存在の1人であるチャールズ・ボボ・ショウ、サン・ラのアーケストラの現在的担い手でありニューヨークきってのパワフルをトランペット奏者であるアクメ・アブドゥラー。彼等は皆今日のロフト・シーンのパワーを生み出しているミュージシャン達であり、注目しなくてはならない存在である。そしてこの人々の他に、もうまさにロフト・ジャズ・ムーヴメントの中心人物であり、すでに〈新しい波〉のリーダー・シップをさえ発動しているロフトのスター実力者達、ハミエット・ブルイエット、オリヴァー・レイク、ジュリアス・ヘンフィルがいる。これらの新しいミュージシャン群がシカゴAACM出身であり現在のジャズ展開の中心を成しているロスコー・ミッチェル、レオ・スミス、カラパルーシャ、ヘンリー・スレッジル、アンソニー・ブラクストンというフリー・ジャズの第二世代とも言うべきミュージシャンや、また10年前の「ジャズ10月革命」期の中から新しい世代として登場し、ニュー・ジャズの領野を切り拓いたオーセンティックなミュージシャン、バイヤード・ランカスター、デイヴ・バレル、サニー・マレイ、マリオン・ブラウン、そしてさらにはそれ以前から独自のコンセプトのもとにジャズの新しい可能性を追求してきたサム・リヴアース、ケン・マッキンタイヤー、アンドリュー・シリル、ジミー・ライオンズ等と共に今日のロフト・ジャズ・ムーヴメントの高まりを生みだしているのであり、そうしたムーヴメントの在り様がまたこの『ワイルドフラワーズ』の中ではっきりと浮きぼりにされているのである。このような新旧世代の激しい出合いと創造的な交流の故に、ロフトは共時的で鮮やかな現在を生んでいるのだ。ニューヨークはそしてまさに今、又新たな〈創造的ダイナミズム〉と〈活性的カオス〉を提している。そのまさに現場としてのニューヨーク・ロフトの“現在”を最も生ま生ましくとらえたのがこの『ワイルドフラワーズ』である。『ワイルドフラワーズ』の5枚がそして照らし出すのは今現在進行形で作り上げられつつある生きた音楽(ジャズ)生きた現在の様々な局面と位相であり、それらのからみ合いとしての「ジャズの現在」のいわば全体の地平といい得べきものである。極言すれば今アメリカでジャズがどのように生き進行しつつあるか、どのようを可能性のダイナミズムを生み出しているかを何よりもはっきりと教え示すものこそがこの「ワイルドフラワーズ」であると言える。ここに参加しなかった人達にセシル・テイラー、オーネット・コールマン、「ルボルーショナリー・アンサムブル」、ミルフォード・グレイヴス、フランク・ロウ等を加えればほぼ今日のアメリカにおける創造的なジャズヘのパースペクティヴが立てられると思われる。76年の春それはロフト・ジャズのひとつのピークの時期であった。この時期様々に出会い交流し合い、互いのぶつかり合いや触発の中で築き上げられたパワーとダイナミズムの高まりは、この後それぞれのミュージシャンの具体的な自己の音楽、自己のグループの組織化、結成へとその質を変えていったからである。76年の春、まさにこの『ワイルドフラワーズ』がとらえた時期、それはかってない激しい〈メルティング・ポット(るつぼ)〉の季節であった。それは今聴いても生ま生ましく伝わってくる。そして現在ニューヨークのロフト・シーンは、又新たな局面と展開をむかえつつある。〈創造的カオス〉の中で見いだされた ジャズのさらなる展開の可能性が個々のミュージシャンによって具体的に追求されようとしているのである。76年、ニューヨーク・ロフト・シーンは第二期とも言うべき〈季節〉へ進入して行った。我々はその〈季節〉の内実とそのそれぞれの局面・方向を見とどけねばならない。そして「ロフト・ジャズ」について考え続ける時、この『ワイルドフラワーズ』の5枚は幾度も新たな相談のもとに照らし出され聴き直されるだろう。その時このまぎれもなくライヴでホットな現在をきぎみこんだ『ワイルドフラワーズ』のドキュメントとしての価値と意味が、又新たに浮かび上ってくるだろう。最後に一言つけ加えて置きたい。それはこの『ワイルドフラワーズ』の5枚を全部通して連続的に出来れば聴いてほしいと言うことである。再編集・再構成されているとは言え、そうして聴いた時にこそ単に個々の演奏といったものではなく「76年5月」ニューヨークの鮮やかなロフト・ジャズ・ムーヴメントの全貌への視座といったものが現出してくるはずだからである。そしてその時こそ、さらにこのレコードの内外へ拡がるジャズの現在へ連なる領野がひらけてゆくと思われるからである。『ワイルドフラワーズ』5枚のしめる領野、それはまぎれもなく今日のジャズの現場である。

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