ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録ライナーノート
V.A.[ワイルドフラワーズ/ニューヨーク・ロフト・ジャズ・セッション4](1977年11月)
日本フォノグラム RJ-7309

ワイルドフラワーズ4 Side One
1. トランクィル・ビューティ
ハミエット・ブルイエット (cl, bs), オル・ダラ (tp), ブッチ・キャンベル (g), ビリー・パターソン (g), ジュネイ・ブース (b), チャールズ“ボボ”ショウ (ds), ドン・モイエ (ds)
2. 黙想
ジュリアス・ヘンペル(へンフィル)(as), アブダル・ワダダ (vc), バーン・ニックス (g), フィリップ・ウィルソン (ds), ドン・モイエ (perc)

Side Two
1. プッシュ・プル
ジミー・ライオンズ (as), カレン・ボルカ (basoon), ヘイズ・バーネット (b), ヘンリー・マックスウェル・レッチャー (ds)
2. ザキ
オリヴァー・レイク (as), マイケル・ジャクソン (g), フレッド・ホプキンス (b), フィリップ・ウィルソン (ds)
3. シャウト・ソング
デヴィッド・マレイ (ts), オル・ダラ (tp), フレッド・ホプキンス (b), フィリップ・ウィルソン (ds)

1976年5月14〜23日 ニューヨーク、スタジオ・リヴビーにて実況録音
制作:アラン・ダグラス、マイケル・カスクーナ
監修:サム・リヴァース

■5人のサックス奏者

 この『ワイルドフラワーズ』第4集に収録された5人のサックス奏者の演奏は我々が今ロフト・ジャズなるものの本質を考える時にそれを具体的に教える重要なドキュメントである。我々はこの5人のサックス奏者の演奏を通してそこに確実なものとしてある「ロフト・ジャズ」のひろがりと多様さを知ることが出来るだろうし、その多様さがどのようにはっきりとした内質と具体性を持っているかを又知る事が出来るだろう。ここでの5人のサックス奏者、その内の1人は60年代から現在まで常にジャズの変革への最も先鋭的な活動家でありイデオローグでありプレイヤーとして創造への行為を歩んで来たセシル・テイラーと共にずっと活動を行なって来た1932年生まれ45オのアルト・サックス奏者ジミー・ライオンズであり、ジュリアス・ヘンペルとオリヴァー・レイクは60年代後期からセントルイスにおいて自覚的な演奏活動を行い続け、共に74年から、75年にかけてニューヨークに移住しそこでの活動を通じて「ロフト・シーン」の中核を担うミュージシャンとして注目を集めて釆た30代中頃の同じ世代のマルチ・リード奏者である。又、ハミエット・ブルイエットはこの2人より少し若く70年代に入ってからニューヨークで様々のミュージシャンと演奏活動を始め、チャールズ・ミンガスのグループに参加してから注目すべきミュージシャンとしてジャズ・シーンに登場し、その後ニューヨーク・ロフトにおける彼自身の「オーケストラ・ワークショップ」やクインテット、又セントルイスのミュージシャンとの共同作業、ドン・ピューレン等との共演を通じてやはり又これも「ロフト・シーン」の中核的存在としての位置を生み出していったバリトン奏者である。そしてデヴィッド・マレイは「ロフト・シーン」の中から登場した新しい世代のミュージシャンの中でも特に若い22オのテナー・プレイヤーで「ロフト・シーン」の新しさと新鮮さそして可能性をそのまま体現したかのような気鋭のホープともいうべき存在である。これら5人のサックス奏者の位相の間にはまさにこの時代と生ま生ましく関わった形での「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」の具体的領野というものがひらけているし、その領野がいかにして多様さを実質として生み出しているものであるかというこの「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」自体の現実的な証しとしての現われがあると言えるだろう。この5人のミュージシャンは特にジミー・ライオンズを除いた4人のミュージシャンは「ロフト・シーン」の中で最も幅広く活動し又最も創造的活性的な部分を代表するミュージシャン達である。だからこの4人のミュージシャンの現わすものこそまた「ロフト・ジャズ」の本質的発現の具体的な在り方なのであり「ロフト・ジャズ」を問いかけ見つめる時に最もはっきりとした手がかりとなってゆくはずである。


SIDE ONE
1. ハミエット・ブルイエツト
 ハミエット・ブルイエットは先にも述べたように「チャールズ・ミンガス・クインテット」における演奏活動を通してその存在を知られるようになったミュージシャンである。特に『ミンガス・アット・カーネギー・ホール』でのローランド・カーク等とのサックス・バトルとも言うべきセッションによって我々にその豊かでダイナミックなバリトン・サックスの演奏は「久しく現われなかった新しく驚異的なバリトン奏者の出現」を強烈に印象づけたものであった。ミンガス・グループ退団後のブルイエットは、よりはっきりと「ロフト」を活動の場として多様なミュージシャンとの交流、共演。コラボレーションそして共同作業とワークショップを展開していった。特に「スタジオ・インフィニティー」をその場として彼が組織し持続的に行なわれた「オーケストラ・ワークショップ」と「ビッグ・バンド」はその後の「ロフト・シーン」との関わりにおいて重要な試みであり又活動であったと言えるだろう。彼はオリヴァー・レイク、ジュリアス・ヘンベル、チャールズ・“ボホ”・ショウ等セントルイスからやって来たミュージシャンとの交流、さらにはレスター・ボウイ、ドン・モイエ、ジョー・ボウイ、ロスコー・ミッチェル等〈シカゴAACM〉のミュージシャンとの交流、デヴィッド・マレイ、オル・ダラ等の新人との交流を通じて常により新たなダイナミズムと共同関係としての音楽のひろがりの創出に密接に関わり続けて来た。そして最近では彼は自己のグループとドン・ピューレン五重奏団を2つの中心とし又様々なセッションに主体的に参加する形で演奏活動を行っているが、そうした彼はその強力なプレイとともに「ロフト・シーン」の中でも最も鮮やかで注目すべきミュージシャンとしてのはっきりした姿を現わしつつあると言えるだろう。彼はバリトン・サックスを始め、クラリネット、フルートを演奏するがそのいずれの楽器の演奏においても独自の強烈な個性と表現を生み出しており今日のマルチ・インストルメンタリストとしても重要な存在である。そして特にそのバリトン・サックスのプレイには他に類を見ない豊かで深く強いサウンドとタイトでデリケートな音色、さらには歯切れがよくダイナミックなアクションにおいて驚くべきものがある。実際に彼の演奏を聴いてびっくりしたのは誰よりも重く、又誰よりも軽やかに彼がなれる事であり、明確にテナーからソプラノ・サックスまでの音域の音をバリトンで自在にだせるテクニックとしなやかさを持っている事であった。ここでの演奏においてもその事はうかがい知る事が出来るが確かに彼はブリリアントな才能と表現力を有したプレイヤーであると言えるだろう。「おだやかな美」と題されたここでの演奏と音楽はたしかな音楽の地平と内質を生み出しており、又音楽と自己への確信によって支えられた真にのびやかなものである。ここでもわかるように「ロフト・ジャズ」は決して実験や試みというのではないより具体的にして現実的な音楽の発現としての「建設」へ向けての局面をはっきりと示している。

2. ジュリアス・ヘンベル(ヘンフィル)
 ジュリアス・ヘンペルは60年代の後半から70年代の半ばまでセントルイスを中心に創造的な活動を行って来た新しいタイプのミュージシャンである。彼は68年頃結成されたセントルイスのミュージシャン、芸術家、詩人、ダンサーのインター・メディア的集団である「Black Artist Group」(略称BAG)のメンバーとして、又自己が主宰するやはり色んなジャンルのアーチストによる演奏・音楽・詩のグループである「MBALI Production」によって重要な活動を行って来た。彼は演劇の分野でも理論家として知られ、その方面で2冊の著書を発表していることでも判るように、単にせまいジャズにとらわれない開かれた知性と行動力を持った存在である。彼も又アルト・サックス、ソプラノ・サックス、フルートと幾つかの異なった楽器を演奏するがその彼の音楽は強力なエモーショナリズムに支えられた音楽というよりも、新しい音楽の在り方と形を目指す音楽美意識によってつらぬかれた音楽だと言うことが出来る。しかし例えばアーシーなブルースっぽい曲を演奏する時に彼が見せるように彼は前衛意識と同時により確かなものへ連なりそれを受容してゆく豊かさも持っている。ここでの演奏はそうした彼のこの側面が見事に浮きぼりにされたものでR&Bの現代的再基礎づけという傾向を有する「ロフト・シーン」の一面を現わしているという意味でも興味深いものである。

SIDE TWO
1. ジミー・ライオンズ
 セシル・テイラーの良きコラボレイター共演者としてのジミー・ライオンズについては誰一人知らぬことはないが、アルト奏者としてのパーカーの音楽を正統に受け継ぎそれをニュー・ジャズ的な音楽変革の方向で発展させ続けている存在としてのジミー・ライオンズは今日のアルト・サックスの位相を考える上で決して見逃せないミュージシャンである。その張りつめて抑制きれたアルト・サウンドの中には伝統的なものと新らしさが呼び交わし合い精神的な強さが感じられる。ここでの演奏もまたそうしたアルト奏者ライオンズをこそ強く感じさせるものである。又、カレン・ボルカのバスーン演奏も新鮮である。

2 オリヴァー・レイク
 今日のロフト・シーンを代表するオリヴァー・レイクは日本でも最近は良く知られているが、彼はロフト・ジャズ・ムーヴメントの勃興と同時に我々の前に登場したオリジナルなミュージシャンであった。すでに『ヘビイ・スピリット』『ホールディング・トゥゲザー』『ウントゥ』等でその確かな存在としての全貌を現わしている現在最も注目されているミュージシャンだ。レイクについてはすでに度々の機会に多く触れているので、ここではここに収められた演奏でその鮮やかなプレイを見せているマイケル・ジャクソンの素晴らしさについて少し触れたい。この「ZAKI」においても彼の独創的にして新鮮なギタープレイは特に目立つものだが、演奏の空間性とダイナミズムを高めてゆく彼の演奏位相はまさしく「新らしきもの」を教えるものである。その感覚的なギター、アトモスフェアーの中を漂い、きらめき、時にはサウンド・エフェクト的関与を異化作用にまで高めている演奏は変容力に豊んだ実にすぐれたものである。
 このレイク/ジャクソン/ホプキンス/ウィルソンという「ロフト・シーン」の新らしさを代表する4人のクワルテットはまさに新しいミュージシャン同士の結びつきが生んだ今日的アンサムブルを成しているが、それはロフト・ジャズなるものがいかな地平へ向っているものかを示す具体例とも言えるものとして提示されている。コンテンポラリーなサウンドとアンサムブルを創り出しているこのクワルテットはその意味でも「ロフト・シーン」を代表するグループとしての姿をここでも表わしていると言えるだろう。

3. デヴィッド・マレイ
 1955年生まれまだ22オのテナー奏者デヴィッド・マレイは74年にニューヨークに移り住むや、めきめき頭角を表わし、現在では「ロフト・シーン」を代表するスター・プレイヤーの1人となっている。その力強く豊かなテナーの音量は確かにこのミュージシャンの比類ない資質を示している。のびのびとした明るい音色、発刺としたアクションはこだわりやとらわれから離れた新世代を強く感じさせるものである。ここでの演奏はわずか2分30秒でしかなくその中では彼の豊かさのすべては判りようもないが、しかし彼のテナー・サックスの見事なこうした特性はうかがい知ることが出来よう。実際の演奏を度々聴いた経験では、彼は実に多様なスタイルの演奏をこなし、またそれがスケールが大きい感じのするかわり、そのミュージシャンの核として彼をつらぬいている具体的な音楽への信念のようなものをまだ欠いていると言える。だが22オの若さでこのようなテクニックと才能を手にしたマレイにはまだ本格的な個有性を生み得ていないとしてもはかり知れない可能性があることはまちがいないだろう。本『ワイルドフラワーズ』シリーズ5枚22セットの演奏の内、彼の演奏は3つの曲で聴く事が出来るが特にサニー・マレイ、バイヤード・ランカスターと共演した第5集の「サムシングズ・クッキング」での演奏は彼のスケールの大きさを一番しめしたものとして彼を知る上では最もすぐれたドキュメンテイションだと言える。



■「ロフト・ジャズ」に見るミュージシャンの意識の変化

1975年をひとつの始まりとして76年、77年と高まっていった「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」。その中から実に多くのミュージシャンがその姿を現わし彼等個有の音楽の在りかを我々に示しつつある。しかし、この「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」を証すドキュメンテインョンとしてのレコードはまだまだそう多くはなく不充分な気がする。76年にホライゾンが「リボリューショナリー・アンサンブル」と1枚1万5千ドルの契約をしてアルバム制作をしたというニュースがあり、アリスタがフランク・ロウ、オリヴァー・レイク、「ヒューマン・アーツ・アンサンブル」のレコードを発表し始めた頃にはそれに続いて続々とロフトの新しいミュージシャンのレコードが出されていくような気がしたが、1年半以上たってその間に出されたレコードを調べて見ると、そんなに多くないのに気がつく。だから日本の新らしいジャズ展開としての「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」に関心のある人達は、どうしてもその全貌がつかめずもどかしいものがあるに違いない。だからこそこの、76年春丁度ロフト・シーンがそのピークのひとつを成していた時期の「スタジオ・リヴビー・スプリング・フェスティヴァル」の7日間28グループの演奏を全部丸ごと録音したアラン・ダグラスの行為は非常にタイムリーなものであったと言えよう。それがまとめられて出されたのがこの『ワイルドフラワーズ』の5枚である。ここでは20グループ延べ60人以上のミュージシャンの演奏が収められているがその事をとってみても現在の時点ではこの『ワイルドフラワーズ』が「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」の実際とその全容を知るには最も優れたドキュメンテイションだと言えるだろう。なにしろLPにしたら30枚分以上の演奏をレコーディングしそれをさらにセレクトし編集したのだからアルバム化には相当の苦労があっただろうことが推測される。これまでにこのような形でのレコーディング、そしてアルバム化がなかった事から考えてもこの時期のニューヨーク・ロフト・シーンの高まりも想像ができると思われる。私は丁度このフェスティヴァル期間中ニューヨークに滞在しほぼ半分のグループの演奏を聴くことが出きた。その時に私が感じたことは多分このように様々なミュージシャンが集まり互いに働きかけ合い創造的啓発のダイナミズムを生み出している高まりはこの10年間の内にはなかったし、これからもそうない事だろうという事であった。そしてこの高まりは今度のジャズの動向に決定的な影響を与えるだろうし、これからの重要なジャズ展開や時代を体現した新しいミュージシャンの多くはこのロフト・ジャズ・ムーヴメントの高まりの中から登場するだろうという気がした。そして確かに多くのミュージシャンがそれ以後はっきりとした形で我々の前に登場した。ことさらに「ジャズの10月革命」との対比でばかり考えるのは良くないのだが、しかしこの「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」のレコードにおける現われを見た時にどうしてもまだそれが充分ではない感じがするのだ。私なりにそしてこのことの理由は説明がつけられる。それは第1にロフトのミュージシャンがレコーディングに対して慎重だということがあげられる。確かに殆んどすべてのミュージシャンがレコーディングをしたがっているし、その事に積壌的なのだが彼等にはかつてのESPにおけるような形でのレコーディングをしたくないし、レコード会社やプロデューサーを信用できるのでなければそれを行なわないという意識があるのである。第2には彼等が自主性を非常に重んじていて納得がいくのでなければ自分の力による自主レーベルやプライベート・レコード制作の方がずっと良いと考えている事があげられる。これらはこの10年間におけるミュージシャン達の意識の変化や主体性の持ち方の変化と関わりのある事である。彼等は確かにこの10年間で状況との関わりにおいて意識的に発展しているのだが、それは又60年代において権利要求、抗議、体制への反逆としてあった黒人の意識が、77年の今日ではより具体的な黒人コミュニティーにおいての建設と生活の豊かさへという現実の受容、受けとめに変わっていった事とも密接に結びついている。これらのことを通じて私が言いたいのは私は「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」の中のミュージシャンに一種の自信とゆとりを感じるし、この“ゆとり”こそ10年前には決してなかった種類のものであり、その“ゆとり”は「ロフト・ジャズ」の本質を成しているということである。この“ゆとり”はそして「ロフト・ジャズ」を或る確かなものへと結びつけているし、又「ロフト・ジャズ」の個有の傾向を生みだしてその可能性としてもあるということである。レコードの発現のしかたやロフトの在り方においても「ジャズの10月革命」の時期においてはミュージシャンは自らのつらなる未知の地平を探し求めればこそあらゆる場面を通じて自己主張しなくてはならなかったしその自己主張自己の姿勢の証しとして彼等が前衛であり又アンダーグラウンドであるという自覚と誇り上自分達の表現の手段としてマイナーなレーベルにレコーディングもしたし、又自分達の活動と表現の場としてのロフトを生みだしていったのだったが、今日のミュージシャンは自己の音楽と活動の基盤や具体的な存在としての聴衆を信じていればこそ、いかなる意味においても決してあせっても切迫してもいないし、又自信とゆとりを持って事を行い続け得るのだ。はっきり言える事は彼等にアンダーグラウンドの意識が全くないという事である。この事はひとつには発展として見る事が出来るし、又或る意味では危機意識の欠如として考える事が出来る。これらのことは今日の「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」を考える時極めて重要な事である。というのはこうしたミュージシャンの意識の在り方の変化というものを理解する事なしに「ロフト・ジャズ」の意味するもの、そしてこれからの発展の可能性について知ることが出来ないと思うからだ。そして「ロフト・ジャズ」のそれぞれのミュージシャン達の音楽の個有性やそれがどのような局面を象徴しているかを考える時にもまたこうしたミュージシャンの意識の在り方の変化の必然やその過程について知っておく必要があると思える。「ロフト・ジャズ・ムーヴメント」が生み出したミュージシャン達の音楽を聴くにつれて私が思うのはこうした意識の変化こそがその音楽に反映し、そしてこの時代が見事に反映しているということである。彼等は時代や結合、統合、建設の必然をまさに受入れているし、だから又それ故にこそ常により具休的で現実的な音楽の地平へ歩んでいる。その事はこれからのジャズの在り方にも関わる本質的な動勢である。だからそれを否定するにせよ肯定するにせよ、このことの示すものを在りのままに今「ロフト・ジャズ」を見つめてゆかなくてはならない。

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