ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録ライナーノート
イッツ・ア・ビューティフル・デイ[イッツ・ア・ビューティフル・デイ](1969年)
CBSソニー SOPL-134

ワイルドフラワーズ5 Side One
1. ホワイト・バード
2. ホット・サマー・デイ
3. ウェイステッド・ユニオン・ブルース
4. ガール・ウィズ・ノー・アイズ

Side Two
1. ボンベイ・コーリング
2. ブルガリア
3. タイム・イズ

イッツ・ア・ビューティフル・デイ[デヴィッド・ラフレイム (vl, vo), リンダ・ラフレイム (org, p, el-p, cheleste, harpsichord), ハル・ウィジネット (g), ミッチェル・ホルマン (b), ヴァル・フォンテス (ds)], パティ・サントス (vo, bells, tamborine), ブルース・ステインバーグ (harmonica)

1969年
制作:デヴィッド・ラフレイム
録音:ブライアン・ロス=マイリング

※ 白い点の伝悦

 長い夏の長い始まりと長い終りのさ中では全てが白い記憶として幻の中で見続けられる。そこでは終りが始まりであり、全ての始まりは終りの光景としてひらけてゆく。エレメンタルな存在と事物の交感と混合=アマルガムはそこでは白紙のように知賞され続けるのだ。そしてさやけき日=ビューティフル・デイとはつまりは静かななぐさめに満ちた輝やかしい破滅の日のことであったのかも知れない。
 僕達が僕達のそれぞれの個有の生と個有の意志を僕達の感性の午後の内でだいてしまう時僕達はそこでいつも美しい目覚めと同時に僕達のなつかしい亡びをもいだいてしまっていた。それは僕達を決して絶望や袋小路へつれてゆくのではなく僕達をはれやかな感覚と想像力の砂漠へつれてゆくのだと思いながら、僕達はどこかでひそかに宣言した、僕達は遠い目まいのように僕達とすべての育との凶々しくしかもやさしい関係を見つめてゆくと。だから僕達は全ゆる音楽の海を僕達の可能性や不可能性として愛したのだ。例えば“雨にぬれる黄金のかごの中にいる一羽の白い鳥”とはそうした僕達の断てとして全ゆるものと関わってゆくという名ずける時には消え去ってしまう自由さのことだったのかも知れない。
 僕達が生きているこの時代、僕達はいつの時代より豊かでもまずしくもなかったが僕達はやはり僕達の音楽を見い出してゆくことが出来た。その最もやさしい音の伝説との出会いはこのレコードとの出会いの中でも見つけられるだろう。このレコードはこの10年のあらゆるレコードの中で最良のレコードの内の一枚である。最近出たサンタナの「キャラバンサライ」とこのレコードを聞く時に僕達は68年から72年にかけて僕達がどのような音楽の時代を生きたかが判るだろう。この二枚のレコードに通じるものは精神の最も解放された時のたとえようもないやさしさである。寒さにうちふるえるような或る危機意識を支え続けるかのようなやさしさである。
 僕達はいつもしまいには感動から投げだされるとしても僕達がこの「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」によって体験するのは僕達自身の感受性の自由さとその恐ろしさなのである。その意味でイッツ・ア・ビューティフル・デイは一種のメディティション・ミュージックでありトリップ・ミュージックであると同時にエクスピアリメンド・ミュージック(体験音楽)でもあるのである。
 僕達がどこかでかっている白い鳥つまり自由の可能性と不可能性はこのレコードのアトモスフェールによって後づけられつつ僕達自身の伝鋭を生き続けてゆくのである。


※ TIME IS………

 60年代後半のアメリカ音楽が−般にサイケデリック文化と呼ばれるダイナミクスによって決定的な影響を受けたことは今やまぎれもない事実である。一口でいうならドラッグ=サイケデリック文化というのはそれまでのオブジェクティブな観念文化から直触感文化への移行への文化であると言える。
 そしてその特徴は空間時代認敵の変化なのである。それまでオブジェクティブにつまり対象的に観念的に空間をとらえ時間をとらえることによって成り立っていた音楽意識はグラス=マリファナ、ドラッグ=メスカリン、LSDを体験したことにより無限さと直面し、それまでの時間意識を変えたといすことが言えるのではないだろうか。
 特にLSDを飲んだ時体験する時間の様態は永遠の体験と名付けうるようなはてしなくオープンでしかも瞬間々々のきらめきの透明な持続としてとらえることができる。
 その体験の中では全ては明かるい光に満ちしかも全ての事物は常に白い夜明けをいつも持っているように、それぞれの事物自体の“存在の光”によって包まれているのだ。
 このレコードを聞いたとき僕が聞きとったものはこのレコードの内側に素晴らしいスタインバーグの写実と共に書かれている“For Those Who Love Time is Eternity”という言葉によって表わされる。時の永遠をリアルに感じ続けるスピリットであったのだ。“White Bird”や“Hot Summer Day”や“Time is”はまさしくこの「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」のメンバーのドラッグによる共時体験によって生まれたであろう。やさしいコミュニティの成果であり、それはコンセプションやフォルムや音楽理念によってだけではなくその他の形で音楽を共に支えるべきことが可能であることを示すものとして記憶されるべきものである。この「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」やサンタナの「キャラバンサライ」の信じがたい解放感と集中力は僕達の時代の音楽の美しいそして全く新らしい感覚の重要な展開を示めすものなのだ。このレコードの内実が持つパワーは60年代末期から70年代初頭のいわゆるラブ・ジェネレーションやビー・インの世代が決して単なる危もうやファッションとしてでだけ終りはしなかったことを証すものである。しかもさらに重要なことはいわゆるウエスト・コーストのミュージック・シーシの中心をなす、グレートフル・デッドやサンタナやこのイッツ・ア・ビューティフル・デイがいまやアメリカ音楽文化の成生発展のかぎをにぎっているということがますます明らかになりつつあるという事実なのである。シカゴとシスコを二つの中心地としてこの5年来静かに進行してきた音楽のひそかな革命は言ってみれば音楽のメッセージやコミュニケーションの構造の変化を意識したものであったのだが、それはフリー・ジャズの不分明で未明な領域をかいくぐってこのグループやサンタナによってもう1つの道があることをもはやはっきりと表明されたと言えるだろう。
 いわゆる一時のドラッグ・ミュージックというものが演奏時の解放感の持続という時点で成立していたとするならば、このグループ等が示めすことはドラッグによる精神革命を音楽の内部つまり音楽の構造の革命にまで遂行したことだと言える。たしかに言えることはこの「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」のファースト・アルバムが僕達に体験させてくれるものは全く今までに無かった新らしいものであると言えることである。それはこのレコードの一面ずつがまるで夢のように連続的に一つの流れを構成しながら僕達を音の宇宙ヘトリップさせてくれるような空間=エスパスを持っていることでも例えば言えるだろう。そこで僕達が体験するのはもはや一曲一曲の曲に対する感興ではなくレコード一枚分の時間そのものの限りなく鮮やかで生々しい体験としか言いようが無いものなのである。


※ イッツ・ア・ビューティフル・デイの可能性と問題

 最近発売されたカーネギー・ホールのライブ・レコーディングとこのファースト・アルバムとの間にはその演奏内容上にかなりの違いが認められる。それは具体的に言うと僕にはグループのハードヘの逆行への心配を起させるものであるけれどこの70年代のロック・ネイションの影のスピリチュアル・リーダーであろうグループの可能性は少なからず問われる必要があると思われる。二つのアルバムを聞きながめ色々と推理した結果この二つのアルバムの違いは単にライブ・セッションと、スタジオ・レコーディングの違い以上のものがあるようだ。それはラフレームのリンダとの決別が一つの要因となっていると思われる。僕はこのファースト・アルバムを数段高く評価するし、このアルバムのアトモスフェールは奇跡のような輝やかしいものと思ってもいるのだが、カーネギー・ホールのアルバムは同じ“White Bird”にしてもあの魔術的とも言えるような夢の如ききらめきが幾分失なわれていることを残念に思う。「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」の可能性はあくまでも音楽共同性の精神化の可能性であり、音楽に関わるはげしいやさしさの可能性である。その意味で僕はこのウエスト・コーストの幻のレコードともいうべきファースト・レコードのラインをもっと持続発展させてほしいと願うものである。アメリカで68年に発売されたこのレコードは殆んど4年かかってとうとうミリオン・セラーになったということだが、それはアメリカで確実にウエスト・コーストの音楽の斗いが認められていることを物語るものであり、日本と違って単に表象的にだけではなく新らしい音楽意識が根づいていることのはっきりした表われとして見逃がすことのできない事柄である。ハード・ロック、グラム・ロック全盛の今の日本にこのレコードが再発売されることは非常に大きな意味があると言える。僕の回りでも70年に発売されすぐ廃盤になったこのレコードが大変なプレミヤつきで求められているといった現象があるが、それは例えば日本におけるスーパー・ヒューマン・クルーとかイエローとかアナベルリーとかの新らしい音楽共同性意識追求のグループが生まれ育っているということと共に長年の上っつらだけのロック受け入れ体勢をこえる可能性として僕は見ていきたいと考える。
 まぎれもなくこの10年間の中での最良のレコードであるということ以上にこのファースト・アルバムの再発売にかける僕の期待はこうして存在し続けているのである。
 サンタナやグレートフル・デッドやこのイッツ・ア・ビューティフル・デイが示したのは極端に言うなら新しい音楽文化のクリエイションであり音楽のコミュニティの新らしい可能性の追求であって、それはいつも不可能性のきらめきを背景にもった斗いであり続けるだろう。
 イッツ・ア・ビューティフル・デイ=素晴らしくさめた日々という言葉が僕達の音と音楽との関係を照らし続ける言葉であることが僕達の斬らしい関係をやさしく射続けることを信じ僕はこのレコードが一人一人の受けとり手の中で何かサムシングが生きてゆくことの可能性としてどこかで見て行きたいと思っている。



【補記】
1969年発表のアルバムが73年に再発売された時に追加されたライナーノーツ。訳詞も間章によるものである。


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