ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録原稿
《コンサート評》
日本のジャズは今どこにあるか
文/間章
(『ジャズ』70年1月)

 かねてから計画されていたビット・インの2階を開放しニュー・ジャズ専門の演奏会場とジャズ講座やジャズ教室にするという事は一部「ニュー・ジャズ道場開場」として発表されていたが、それが11月21日ESSG、高柳昌行ニュー・ディレクション、吉沢元治トリオのニュー・ジャズ合同演奏なるものを皮切りに実質的に運営されることになった。名称はどうあれ、今の日本のジャズの中心部突出部を梼成するいくつかのグループで毎週金、土、日曜日演奏が行なわれるということは喜こばしいことであるには違いない。
 特に吉沢元治トリオや高柳ニュー・ディレクションは個々それぞれ新宿のジャズ契茶「汀」で演奏し続けてファンを段々と獲得してはいったもののまだ一般には演奏している場所がそれほど知られていないため一つでも多くの場で多くの人が聴くことが出来るようになったのは良いことである。ESSGにしても事実上1カ月余りも演奏活動を中断していた故にESSGのジャズを今度の機会から続けて聴けるようになるのはこれもすばらしいことだ。
 11月21日の合同演奏は個々ミュージシァンの事情で結局は(吉沢元治=ベース、高木元輝=テナー、ソプラノ、バスクラ、豊住芳三郎=ドラム)に富樫雅彦と沖至=トランペットがくわわっただけとなったが、先づは6時半から吉沢トリオの演奏によって始まった。第1曲目チャールス・タイラーの「スリー・スピリッツ」は高木のテナー、吉沢のアンプリファイヤされたベース、豊住のドラムで演奏された。昨年の8月高木と吉沢の出会いから結成されたこのトリオは今年の5月、豊住芳三郎というけたはずれのヴァイタルなドラマーを加えてからまぎれもなく日本のジャズの最も突出した部分を構成していたことは多くのジャズ・ファンの知る所であったが、この日もコーラもでるわけではなく又禁煙でもある会場へつめかけたおよそ知人のファンの期待を裏切るものでは決してなかった。
 高木はあの驚くべきテナーの叫びで、そして吉沢はアンプリファイヤされたベースで、豊住はすさまじいとしかいいようのないドラミングで人々を圧倒した。彼等のコミュニティーは確実に“ヴァイオレンスとクリヤランスに満ちた空間”を現出させた。2曲目吉沢のオリジナル「アブラムシNO.3=キャン・ユー・シー・ユァー・オウン」においては特に吉沢のチェロと高木のバスクラのからみの中で彼等トリオが持続させた彼等のジャズ始源の情念が有機的なサウンドを展開しながら一つのブリリアントなジャズ空間を獲得したとは言えよう。吉沢が彼のジャズプレイの一つの流れとして常に演奏し続けてきた定まったテーマも展開のしかたもメロディもない「アブラムシ」という曲はこのNO.3=キャン・ユー・シー・ユァー・オウンとしてこの日彼等の音楽のきわだってパワーのある自立性を示した。高木はコーン・パイプで、吉沢はユーゴスラビアの笛とリコーダーでインブロヴィゼイションを展開しながら、日本のジャズが今や真に日本のジャズとしてゆく予感をはらみつづけてゆくように思われた。
 さきに本田竹彦のリサイタルを企画した「えぽっく」によって1月4日都内初めての彼等のコンサートが行なわれるのは日本のジャズが新らしい時点に突入していったことを示す象徴的な出来事となるだろう。
 第2ステージは高柳昌行等が事情によりこの日演奏できなかった理由もあり、やはり吉沢トリオの演奏になったが、ソプラノがこわれ高木がそれをなおしにいったため吉沢の無伴奏ベース・ソロによって始められた。
 この「ザッツ・ポイント」と名づけられた曲はおよそ15分にわたり、彼のアルコとピッチカートによりくりひろげられたが、これは彼のべ−ス・プレイの集大成等という意味では決してなく、彼がベースで志向する彼のジャズの世界を最も明りょうにしながら一つの作品の有効性と空間をあらわにしていた。
 彼の独得のくふうでウッド・ベースにつけられたマイクからアンプースピーカーを通して彼のベースは15分の間少しのたわみもなく時間を奪っていった。
 次の2曲目は高木のソプラノと豊住が加わり再び吉沢の演奏でオーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」だった。高木のソブラノはいつにもまして刺激的だったが最もきわだったのは豊住のドラミングだ。4月にフランスから帰って以来彼は明らかに現時点でも最もスケールの大きく又センシティブなドラマーの一人であるということはこの時の1曲だけでもうなづくことができる。
 その日の最終ステージ豊住、吉沢、高木のトリオの後では沖至のトランペットと富樫のドラムが加わった。ツードラムのクインテットで演奏された。第3ステージで吉沢、高木と「アクトNO・2」と「ドミソ汁」を演奏した富樫はパイステの大きなドラとパールのドラをしたがえ合計14個のドラム・セットをじゅう横に駆使し複雑なドラミングをしながらこの5人による演奏をひきしめエクステンドさせた。トーナル・センターだけを決めて行なわれたこの演奏は各自のソロをはさみながら一つの新らしいサウンドを現出されるかの戸口にあったということはできる。
 豊住がのりすぎちょっとはしったのはまだよいとしても沖至のトランペットが終始5人が1つのサウンドを展開するのをさまたげていた。もともとフレージングがなってなくとかくワン・マン・プレイになりがちだった沖はこの演奏でいつになくセンシビリテイとデリカシイを欠きしまいには富樫をしてきまづい苦しい顔にさせる程であった。高木や吉沢や富樫がいかによいプレイをした所で沖のペットが耳ざわりであったことは確かだ。彼が5人によるジャズの有効なカとヴァイオレンスの足をひっぱったのはとにかく残念に思われる。色んな点において彼はこの日他の4人と全く資質の違うことを明らかにし、一種の彼のジャズの破産を感じさせた。
 高木がバスクラやソプラノですばらしいソロをし、吉沢がベースのマイクの前にすわり込み数種にわたる笛をふきタンバリンでベースをかきならし富樫や豊住はそれぞれバイタルにドラミングをくりひろげたが、沖の最後のペットがふき始められてからはとうとう最後の終りのきっかけがつかめないまま曖昧な形で演奏を終るしかなかった。
 という訳で、このニュー・ジャズ合同演奏(何がどのようにしてニュー・ジャズ? の合同演奏? なのかは知らないが)たる最後のステージは成功したとは言えないが、その演奏の中に日本のジャズの未明の明日を支えている者達のプレイが高木や吉沢や富樫や豊住の中に感じられた。
 いずれにせよ金、土、日曜、前記の人達や高柳や池田芳夫、佐藤允彦らが彼等自身により演奏をそれぞれ行ない持続してその蓼を運営してゆくというのはかってなかったことには違いないしーつの日本のジャズの新らしい展開の可能性がそこで生まれるかもしれないことは確かだ。山下洋輔トリオを除き殆んど全ての突出した前衛グループが一つの場で聴けるということはそれなりにすばらしいことではある。
 山下洋輔トリオと高柳昌行ニューディレクションのレコードが出、富樫のESSGが「アクト1」から「アクト5」までの演奏からなる曲をレコーディングし近く出、吉沢トリオのレコードが企画されているという今の時点はまさしく日本のジャズが向えた新らしい時期に位置するだろう。11月21日の演奏は明らかにその角口にあったことを認めることができる。

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