ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録原稿
特集:New Wave In Jazz
●「ロフト・ジャズ」の測量教程[竹田賢一]
●反ユートピアの原像〜オリバー・レイクとロフト・ジャズ・ムーヴメントをめぐって[間章]
ロフト・ジャズ・ムーヴメントを照らし出す同時代的なレコード群[監修・選/間章]
●スタジオ活動をどう生かすか[梅津和時・中村達也・原田依幸]

反ユートピアの原像〜オリバー・レイクとロフト・ジャズ・ムーヴメントをめぐって
(『ジャズ』77年1月)

1.「ニューヨーク革命計画」

 ニューヨークへもう一度行こうと思いながら、とうとうもうひとつの冬を向かえてしまった。
 今年の春、冬から春へ春から冬へと一日一日がとまどうようにしてゆきつ戻りつしながら、やがてまばたくように突然夏へ落ちてゆく、そんな時期に私はニューヨークにいた。それからもう半年以上の時がたっているわけだが、私は今でも私がニューヨークで感じた事の何か判然とはしないながらも確かなものとしてあるひとつの受感をいだき続けたままだ。複雑に入り細み、入り混じったその受感をまさしく総体としていだいたまま、私は時として自分が或るとらえようもないまばゆさのなかにあり、又時としていい知れぬ寒さとともにあることを発見してしまう。
 そのまばゆさと寒さは私の内からやってくる。その奇妙に矛盾している何か陰りのようなものは私の<体験>の底からやって来るようだ。
 私はニューヨークにいた時もそして今も或る種の当惑のようなものと共にある。
 そしてそれは私にも不思議なことなのだが一種の熱い思いとシニカルさとしてあるようなのだ。

 ニューヨーク。それは私にとってずっと長い間どこよりも生々しいひとつの“現場”でありそれと同時にまばゆいばかりの巨大なカオスであり廃墟であった。
 だから最初にニューヨークに到着して見上げた空は私にいい知れぬなつかしさを覚えさせたものだ。
 アラン・ロブグリエの『ニューヨーク革命計画」という小説がある。私にとってはロブグリエの作品の中で『去年マリンエバートで』のシナリオと並んで最も好きな小説である。その小説のなかに私がかいま見たものは、途方もない正と負のエネルギーの混在した蠢くカオスとしてのニューヨークに対するロブグリエのこの上ない愛着であり、又それと同時にふくれ上がった憎悪といったものだった。思えば私もずっと長い年月相反する二つのヴィジョンとそのさなかにあるルサンチマンを通じてニューヨークを“視”続けてきたものだ。ニューヨークへ旅をしてそして帰ってから『ニューヨーク革命計画』という小説を書いたロブグリエのいらだちに似たオブセッションに、だから私は常ならぬ親近感をいだいたものだった。オマージュとルサンチマンの入り混じった奇妙な状態。それは言ってみれば現実でありながら同時に幻視でもあるといった、たとえようもないニューヨークという存在への唯ひとつの持ち得る正当な情動であり、そうしたものの中でまさに迷路にたたずむように非連続の所作をなすことこそ唯一の態度なのではないかと思ってみたりもする。
「ニューヨークは不思議な街だ。それはいつも処女のように初々しいかと思えば、うす汚れた淫売のように、毒づいている。あらゆる新鮮な今生まれたもののような、きらめきに満たされているかと思えば、ごみ屑の山のように腐臭を放っている。ひとつの精算の力の象徴のように見えるかと思えば、破壊の後の世界の象徴のようにも見える。そしてただひとつだけはっきりしていること、それは真昼にも真夜中にも、大通りでも裏通りでも新しいポジティブとネガティブのエネルギーがひしめいていてそれが何かを進め、変え続けているということだ。」と或るニューヨークの詩人が私に言った。「いささか詩的過ぎますね。私にはニューヨークはいつも何か得体の知れない破滅的な出来事の『前夜』のようであり、『翌日』のようであり、そして同時に『真最中』のようであるというような気がします。ジャスパー・ジョーンズの『白』がニューヨークに置かないと全く似合わないのと同じように、というよりジョーンズの『白』の外側にニューヨークがあるというのがすごいひとつの意味だと思うのですが……私には希望も絶望もニューヨークには似合わないし、ニューヨークにはないような気がします。なにせ人類が途方もない労力と生産力と消費力で築き上げたもうひとつのジャングルとしての都市の現すもののすべてがこのニューヨークにはありますから。それはポエジーをことごとく拒否するものように思えます。」
 するとその六十がらみのびっこの詩人は言ったものだ。
「ポエジーというものは始めから廃墟のなかで言葉を探すような欠落から生まれたものなのさ。だからポエジーにはすでにポエジーの否定が含まれている。ニューヨークは文明のデカダンスでも未来でもなんでもない。すべてのもののかけらから出来ているひとつの夢のような現実なんだ。そしてそれはいつもにぎやかな『廃墟』なのさ。だれが何を探そうとおかまいなしさ。」
 その詩人はバーボンのグラスを傾ける。
 私はすでに酔っぱらってしまっていた。

 ニューヨークというと私が決まって思い出すのは共にアンダーグラウンドというなのついた二つのグループである。
 一つはロック・グループの「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」でありもう一つは過激な地下政治組織「ウエザーマン・アンダーグラウンド」である。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド「ヴェルヴェット」は66年から70年まで存在したアバンギャルドでフリーキーなロックンロール・バンドでニューヨークから生まれニューヨークの廃墟とドーブの世界の美しさを歌い上げた、かつての「新しい時代」のヒーロー達であった。一方「ウエザーマン」のほうは61年頃にSNCC(学生非暴力調整委員会)とほぼ時を同じくして結成された学生の反帝主義組織のSDS(民主的社会のための学生組織)の中の最過激武装闘争派であり69年のSDS全国大会で指導権を取った後、その激しい革命路線の為孤立化し、逮捕・投獄という弾圧のもとで69年10月から地下に潜り爆弾武装闘争を展開した白人過激地下組織である。
 この二つのグループは共に60年代末から70年代へ移行する時代を激しく照らし出しその時代のひとつの本質的姿勢を導き出した集団であった。
 この時代つまり資本主義の帝国主義段階の登りつめた形としての高度管理社会<体勢>化の成立・支配とそれにともなうあらゆるレベル局面でのデカダンスと反逆の活性化が現出していった過程の時代はジャズの世界にあっても激しい変革へのムーヴメントとダイナミズムが多様な現われを生み出した。その現れのひとつが<ニュー・ジャズ・ムーヴメント>であり、<フリー・ジャズ・運動>であり、またいわゆる<ロフト・ジャズ>といったジャズ・イノベーション=変革の動きでありジャズのカオスと過激の<季節>であった。そしてその<季節>自体がカレント(底流・暗流)な、アンダーグラウンドなゆれ動く大きな文化の変容を背景・内景としたムーヴメントだったのである。
 ニューヨークはまさにこの<革命>運動の中心としてあった。
 その革命はまず<地下革命>としてあらゆる芸術・音楽・文学のさなかで進行し展開していったのである。先行したオーネット・コールマン、セシル・テイラー、ジャクソン・ポロック、ジョン・ケージ等の<前衛の時代>の後を受けてそのムーヴメントはより具体的により自覚的により運動的に、多義的に試されながらニューヨークという都会のひだやバックストリートや屋根裏や地下室や廃屋での中でアグレッシブな形でひろがっていったのだった。
 ロックでは<ファッグス>や<ヴェルヴェット>が、ジャズでは<ジュゼッピ・ローガン・クヮルテット>や<マリオン・ブラウン=バートン・グリーン・クヮルテット>それに<アルバート・アイラー>が登場した。
 時代を切り開いたアバンギャルド達はより確かで具体的な領野と根拠とを目指して<アンダーグラウンド>の場所で、より可能な発展とより強固な展開へ向けて進んでいった。
 それは何よりも<アンダーグラウンド=潜行(的)>な在り方でカオスを通りながら己れを開いていった。
『ニューヨーク革命計画』はニューヨークのカオスの中で、狙いをニューヨークを超えた“時代”や“文化”や“体制”に向けながら様々の領域で様々の局面として<地下>で“抑圧文化”“支配者体制”解体とより生き得る未知の新しい世界を目指して進められていった。<ヴェルヴェット>と<ウエザーマン>の二つの<アンダーグラウンド>、そしてムーヴメントとしての<ジャズの十月革命>はその<革命計画>がどのようなものでありどのような場所にあったのかを教えるものとしてある。またそれらのグループが例えば<ヴェルヴェット>におけるルー・リードとジョン・ケールの対立やSDSの分裂・内部抗争、<ウエザーマン>の孤立化・地下潜行、<ジャズの十月革命>の極めて多様多義的な現われとして<十月革命>のひとつの結実としてのJCG(ジャズ・コンポーザーズ・ギルド)の分裂・解体といった形で困難と直面して踏んでいった過程は60年代から70年代への“時代”の移行性とその内実、その移行の内にあるムーヴメントや運動の在り方や展開のしかた、又その切実さを見事に照らし出すものとしてあった。
 分裂と解体、孤立と分裂化そしてさらなる過激化こそこの<アンダーグラウンド>と<都市ゲリラ>の時代を指し示すだろうものである。
 それらの状況の中で<カオス>はその超出の方法と闘いをめざして、様々の戦闘者、フリーク(異形者)の内に過大に育まれていった。そこから<革命計画>はまさに“計画”や“潜在的ムーヴメント”を超えて“実行”と“顕在的ムーヴメント”の段階へ身をのり出して様々の局面を生み出し<地下>をはみ出して行きつつもあったのである。


2. ロフト・ジャズとパンク・ロック

 今日、世界的な傾向としてジャズの局面では<ロフト・ジャズ>、ロックの局面では<パンク・ロック>が浮上しつつあり、その波紋をひろげつつある。
 この両方に共通して言えることは、それらが共に高度にソフィスティケートした七〇年代進入以後の音楽傾向に対する反抗と作り上げられたテクノロジカルな音楽様態と高度に商品主義化した音楽の在り方への反逆の意味合いを持っているということである。
 そしてもうひとつ共通するものは、<ロフト・ジャズ>も<パンク・ロック>も今日生まれた現象ではなくおよそ十年以前からあった動向の新しい形での現出といえるものだということである。<ロフト・ジャズ>も<パンク・ロック>もその意味で一種のフィード・バック現象でありそれはまさにかつての<アンダーグラウンド>の全く違う形での今日的な動勢としての再現前化といえるものである。<ロフト・ジャズ>という言葉も<パンク・ロック>という言葉もそれ自体古くからある言葉である。<ロフト・ジャズ>という言葉は50年代末のセシル・テイラー・グループの活動に対する<カフェ・ジャズ><コーヒー・ハウス・ジャズ>という言葉と共に生まれたし、<ジャズの十月革命>におけるマリオン・ブラウン、バートン・グリーン、ビル・ディクソン、サニー・マレイ、ミルフォード・グレイヴス等の活動が行われた<ロフト=Loft>に根ざして名付けられたものである(このロフト=Loftという言葉なのだが、字義的には屋根裏とか納屋・倉庫・教会・講堂などの上階という意味だが、通常は“部屋”のスペースのひろさや、形態を表わす言葉である。主にその意味ではフラット=Flatやスチュジオ=Studioと並ぶものであり住居においてフラット《ワンルーム》、スチュジオ《広いワンルーム又はいくつかの連続した部屋》よりすっと広いスペースの“部屋”に対して使われる。フラットやスチュジオがあくまで部屋であるのに比しロフトは倉庫や集会又は住居等多目的に使われる、普通は天井の高いワンルームでありトイレやダイニングの設備がないものの事を言う)。
 一方<パンク・ロック>は<ヴェルヴェット>以後登場したブルー・オイスター・カルトやニューヨーク・ドールズ、イギー・ポップ&ストウジーズといったラフでワイルドでヘビィーでストレートでフリーキーなロックンロール・グループを指した言葉で67年頃からよく使われ出した(パンク=Punkという言葉は(1)チンピラの与太者(2)臆病者、社会脱落者(3)オカマ(4)くだらないもの(5)くず、ごみといった意味で最近の「キッス」や「エアロスミス」のように商業政策的に作り上げられたグループは普通“パンク”とは呼ばれない。あくまで裏通りや廃ビル、屋根裏や小さなカフェ・バーで演奏活動するオフ・マイナーなグループに対して使われる)。私がしかしこの二つの言葉を目障りな程見るようになったのは不思議なことに日本においてであった。


3. オリバー・レイクとロフト・ジャズ・ムーヴメント

 現在の<ロフト・ジャズ・ムーヴメント>について考える時二つの問いを避けてとおるわけにはいかないように思える。それは一に<ロフト・ジャズ・ムーヴメント>とは現在のどのようなジャズの現われと動勢を指すのか、<ロフト・ジャズ>とは何か、<ロフト・ジャズ>ということで何を指し示そうとしているのかであり、二に<ロフト・ジャズ>が本質的な動勢であるとするなら、それはどのような方向と局面を有しているのかである。
 私のニューヨーク体験と発表されたレコードの中に現われた現前と動きを見、とらえた所では現在ニューヨークで進行し現前化してつつあるジャズのムーヴメントは単に<ロフト・ジャズ>としてくくれないものであるという印象がある。
 たしかに現在の新しいジャズのムーヴメントはスタジオ・リヴビー、スタジオ・ウィー、ラ・ママ・チュルドレンズ・ワークショップといったミュージシャンの自主的なスペース(多くはそこでリーダーたるミュージシャンが住みそして開放している)、レディスフォト、エンベワンとミュージシャンにコォーポレイティブな立場をとるスペース、それにティンパレス等の積極的にミュージシャンの自主活動を助けるカフェにある。そしてその中心となっているミュージシャンはセントルイス、シカゴ、デトロイト、ボストン、L・A等の各地から集まった多様な、しかし大半は<ニュー・ジャズ>派のミュージシャン達である。しかしこのムーヴメントはかつての<ジャズの十月革命>期にくらべてその表面上の多様さという点では劣らないにせよ<変革>への動向、ジャズの新局面の創出という点ではまだ潜在的な域にあると思えてならない。
 二つの問に対する<ロフト・シーン>の分析は後にまわすとして、ここで例えば、現在の<ロフト・ジャズ>を代表するミュージシャンの一人オリバー・レイクと彼の回りにいてレイクと共に今日の<ロフト>を照らし出していると言えるだろう他の三人のサックス奏者をとり上げてみよう。他の三人のサックス奏者とはフランク・ロウ、デヴィッド・マレイ、デヴィッド・ウエアである。

デヴィッド・マレイ フランク・ロウ デヴィッド・ウエア オリバー・レイク
デヴィッド・マレイ フランク・ロウ デヴィッド・ウエア オリバー・レイク

 オリバー・レイクは1942年生まれ、現在34歳のアーカンサス州生まれのサックス奏者である。彼は<フリー・ジャズ>の<旅>が生み出した子供と言える存在である。彼自身、第二の故郷としたセントルイスを始めとしシカゴ、デトロイト、クリーブランドそしてパリ、オランダその他ヨーロッパの各地を<旅>してニューヨークに辿りついた。
 彼の演奏を聴くとまさにこの<旅>の入り組んだ反映がある。リズム&ブルースからドルフィー、コールマン、ヘンリー・カウエルからチャールズ・アイヴスまでの、そしてシカゴ派の<体験>が彼の音楽の中には照らし出されているのだ。しかしそれは他の誰にとっても同じことでありうる。問題は<体験>をとおして<旅>の中でいかに自分の道と方法を見つけるかなのである。
 しかし、彼を現在の最も優れたミュージシャンの一人と考える私にとってみれば、レイクは決して単に<ロフト・ジャズのミュージシャン>ではない。
 彼が登場して来たのが<ロフト・ジャズ・シーン>の中からであっても、又彼がその代表的な活動家であり現在の<ロフト>のシンボルだとしても彼はそれによってくくられる存在ではない。
 彼は伝統の重みを引き受け<旅>の苛酷を通してフリー・ジャズの思想闘争と内ゲバを超えた所で自己の音楽を開いた。そこに彼の<意味>がある。その証しが例えば『ヘビィ・スピリッツ』なのである。このレコードの中の音楽には概念的な意味での、又は驚くべき事件としての新しさはない。しかしその音楽には今までになかったフレッシュさとスポンティニティとがある。そこにはむき出された攻撃性や過敏性はない。しかしそこにはもっとひらけた、しなやかな強さとのびやかなアクティヴィティと行為性がある。
 それこそが<新しさ>なのだと誰かはいうかも知れない。私はそれを否定しはしない。
 しかし彼の存在と音楽が現わす本当の<新しさ>と言い得べきものは次の三点にある。
 つまり<ポスト・フリー>の、とりわけ本質的には殆んど何も提起されなかったアメリカにおける<ポスト・フリー>の一つの結実がオリバー・レイクをとおしてかいま見れるし、又その音楽にあるということ、そして彼のいわば<オープン・フォーム>ともいうべき音楽の方向に<フリー>の今日的意義が見れ、そこへすりへりすり切れる道としてでは決してないジャズ変革と開放のかすかなひとつの出口の形が予感されるということ、そしてもうひとつはオリバー・レイクという存在者をとおして60年代後期のシカゴにおける<シカゴ前衛派>の運動の内実と60年代中期のニューヨークにおける<ジャズの十月革命>の変革のダイナミズムと、さらにはヨーロッパにおけるS・レイシー等の孤独なポスト・フリーへの闘いが連なってい、又結びつけられている、ということ、これらの事がレイクの存在と音楽、彼が象徴しリアライズするものの位相とその<新しさ>を教えるものなのだ。そのことは重要である。
 彼の音楽にあるフレッシュさとスポンティニティ、しなやかな強さとのびやかなアクティビティ、そして確かさだけをあげるならば先程他の三人のサックス奏者といったF・ロウにもD・マレイにもD・ウエアにもそれは見てとれる。しかし次にあげた三相の<新しさ>の内の最後、つまり<シカゴ前衛派>と<ジャズの十月革命>と<ポスト・フリー>それにセントルイスでのジャズ活動を身をもって連ねたという<新しさ>はレイクに、或る意味で固有なものであり<存在の意義>であるということが出来る。
 このことに<ロフト・ジャズ・ムーヴメント>のひとつのシンボルであり実体、そしてひとつの中心としてのレイクの位置がある。
 ブラクストンにもジェンキンスにもないひとつの役割がそしてレイクに開けてゆくのである。
 フランク・ロウではどうだろうか。彼には<シカゴ派>の影とシェップの影がまずあるように思える。ヴァイオレンシャルな彼のテナー・サウンドはシャープでしかも太い。私はレイクにドルフィーに連なるサックスの負性とサックスの変革をつぐ闘いの可能性を見るという意味ではレイクの方を高く評価するが、フリー以後の荒々しい肉体的な演奏とサウンドというサックスの伝統的で現実的な現われとしてのサックス奏者としてはロウの方を高く評価する。彼のレコード『フレッシュ』と『フラム』において見れる能動性からいうと、ロウはシェップが降りた「座」を占めるべき奏者だと考える。
 レイクとロウの二人は或る意味で対極的な位置にあるのだ。そして二人の間のひろがりの中に<ロフト・シーン>はひらけていると言えるかも知れない。
 これと同じようなことが違った形でより若い世代(二一歳と二四歳)のサックス奏者D・マレイとD・ウエアの二人にも言える。
 マレイはまだレコードを発表していないので私がニューヨーク滞在中に聴いた五つのセッションや他のテープ(その中には「ヒューマン・アーツ・アンサンブル」客演時の演奏や、彼のクインテットによる演奏、それに土取利行とのデュオの演奏が含まれている)による私の体験と印象をとおして語るしかない。
 もう一人のウエアの方は私が幾度か実際聴いたプレイとくらべればベストと言えないまでも彼の演奏を収めた二枚のレコードが発表されている。アンドリュー・シリルがリーダーの『セレブレイションズ』とミルトン・マーシュがリーダーのビッグ・バンドによる『モニズム』がそれで特に後者のタイトル曲「モニズム」における彼のソロ演奏はまさしく彼の出現を告げる予兆的で堂々として素晴らしいものといえるだろう。
 マレイはソニー・ロリンズからアルバート・アイラーまでを吸収したヴァーサタイルなテナー奏者である。彼はその年齢にも関わらずサックスのあらゆるサウンドや奏法、ニュアンスに通じていて、どんな演奏でもさらりとやってのける。いわば<フリー・ジャズ>の闘いの<戦無派>であり<フィーリング世代>というべき存在だ。彼の演奏にはどのような意味でも深刻さや影がない。それはどこまでもオープンでどこまでものびやかだ。
 一方、ウエアの方にはつきつめたサックス演奏の追求が感じられ、ひたむきで確固としてアーシーな演奏地平がある。そしてそれはサックスの闘いをより新たに引きつごうとしているという意味ではサックスの伝統と伝統破壊のせめぎ合いとしての影と、深刻さというのではないにしても思いつめた行為性を浮び上がらせている。
 彼等はものの見事に<新しい世代>の二つの相を体現しているのだ。
 マレイはのびやかさを、ウエアはひたむきさを、一方はひろさを、一方は深さを、一方は感性を、一方は迷いとの闘いを、というようにして、私はそしてウエアへの関心を今増大しない訳にはいかない。マレイの方がより多く可能性を示しているとしても、私にはウエアの自己との闘いの方に賭けたい気持の方が強い。その闘いの方にこそ真の<ロフト・ジャズ・ムーヴメント>の行方を見ようとこそ思っているからだ。
 マレイとウエアの間、ここにもまた<ロフト・ジャズ>のひろがりと内実がある。
 現在マレイは自己のグループやサニー・マレイのクヮルテット、「HAEワークショップ」それにハミエット・ブルイエットのグループ等で活躍、ウエアはセシル・テイラー・ユニットとアンドリュー・シリルのグループで、又自己のトリオ(ラシッド・パーカーds、ラフェ・マリクtp)等で活躍している(セシル・テイラーは自分のグループのミュージシャンのグループ外での活動を禁じているというので、最近はテイラー・ユニットだけだという便りもある)。

 レイク、ロウ、マレイ、ウエアの四人のサックス奏者を見る時、そこに<ロフト・ジャズ>の領野がひらけ具体的のどのようなものとしてあるかが判るだろう。
 この四者が四様の形で登場し、四様の位置にあるというこのこと程<ロフト・ジャズ>なるものの多様なダイナミズムとムーヴメントを教えるものはない。もちろん<ロフト>はこの四者を超えてひろいものであり、彼等によってだけ代表されるものではない。としても、この四人のサックスが<ロフト・ジャズ>を照らし出すべき存在であることも確かなのだ。
 しかしサックスの変革と<新しい位相>という意味では彼等よりも今日的なミュージシャン達がいる。それは例えばミルフォード・グレイヴスと共に演奏活動しているヒュー・グローバー(ts)やアーサー・ドイル(as)である。
 特にアーサー・ドイルのノー・フレージングのプレイはこれからのジャズを考えるに非常に示唆的なものと言えるラディカルな演奏である。
 それはロフトの深い所で、本当に自主的な活動を持続しているプレイヤー群の中にもケン・シモンやマイク・ホワイトゲージのようなサックス・プレイヤーもいる。
 又最近ニューヨークへ戻った友人の土取君からの手紙では「スピリット」というグループが登場してそのグループのテナー奏者、デヴィッド・T・ウィリアムス(三人目のデヴィッドだ)が衝撃的に出現し注目を集め始めているという。
 いずれにせよ<ロフト・ジャズ>という形で現われた様々なムーヴメントを<ロフト・ジャズ>に押し込めてしまう訳にはいかない。それはあくまで動きつつゆれ動きつつあり変化しつつある<現在>なのだ。安易に了解したり納得したりする以前にあくことない注視こそがそそがれねばならないだろう。
 そしてオリバー・レイクという一人のサックスの重要さもこれから本当の姿を現わすに違いない。オリバー・レイク論やロフト・ジャズ論が用意されるのはそのずっと先で良いはずだ。今はただ我々の、その表面だけを迷わないような見つめる厳しい視線(まなざし)こそが要求されるべきである。


4. 反ユートピアの原像/ロフト・ジャズへの問題提起

 真のムーヴメントが形成され、真の運動とアクティヴィティや変革が、現在<ロフト・ジャズ>と呼ばれているジャズの現われによって成されるのは、これからだと言えるだろう。日本のジャズ・ジャーナリズムにおける<ロフト・ジャズ>のクローズ・アップが永遠に<ジャズの十月革命>にも<シカゴ・アヴァンギャルド・ムーヴメント>にも遅れた者達のコマーシャリズム化としての先もの買いに終ってはならないような場所でこそ<ロフト・ジャズ>は厳しく見つめられなくてはならないのだ。
 短い間とはいえ貪欲にロフトを歩きまわり、ロフトのジャズを聴き続けてきた私にはことさらにそう思う。
 そしてそのような私であってみればこそ、ロフト・ジャズに或る種の危惧と批判めいた問題意識を持っている。
 ここではこと細かにそれを披露する余裕もスペースもないが、幾つかまとめてみよう。

1 ジャズのラディカリズムとしての変革の方向とその具体的な在りかがロフトのなかではまだ見えないということ。
2 現在の<ロフト・ジャズ・ムーヴメント>が<ジャズの十月革命>そのものとそれ以後の真にイノヴェーショナルな活動に関わっているところに<ロフト・ジャズ>の現在の意味があるはずなのだが、そうした闘いがまだ具体化されてはいないということ。
3 <ロフト・ジャズ>、それ自体は多様なのだが、その現れ自体に一種の企画化・パターン化の風潮が見られること、又そうした企画化を打ち破る力がどのように用意されねばならないのかが、まだ自覚的には見つけられていないということ。
4 かつての<サード・ストリーム>のように見かけは革新的で非順応的な、しかし一歩まちがえば形式化・固定化といった反動的性格をかかえたような音楽の傾向があること。
5 またそれと反対に、一部では70年以後の数人の闘い手が克服したはずのパワー主義、肉体主義が可能性とともに抑圧性も含みながら再現しているということ。
6 また何らの自覚やリアライゼーションも通さない「形式的なフリー・ジャズ」が根強く残って、風化しつつありながらも再浮上して来ていること。
7 <ロフト・ジャズ>全体において、60年代にきたえられたブラック・ニヒリズムは、或る意味で後退しているか、背後に回されているか、その性格を水増しされているか、潜在化されているかしていること。
8 リーダーやオルガナイザーやイデオローグが或る特定の個人として現われる必要はないが、まだ具体的な指導論や組織論や運動論、革命論が準備されてはいず、またそれらの所在もはっきりしていないこと。
9 一部の<ロフト・シーン>は<フリー>の今日的な<新主流派>のような人々によって領働され、コマーシャリズム化の危機を有しているということ。
10 ロフトの状況は<十月革命>時のような創造的カオスを現在の<ロフト・ジャズ・シーン>は生み出していず、多様さのままどこかで本当に連合・連帯するという動きもないまま、表象的なレベルでの<調和>と<均衡>を許しているようにしてあるということ。
11 ジャズの階級闘争の位相が見えないところでムーヴメントだけが浮いているかの感があること。
12 <与えられた>平和と自由と場所を許すかのようにして、<ロフト・ジャズ>が或る種の日和見主義と繁栄を買って<音楽>や<ロフト>の内側で安住していること。
13 ジャズの宿命的な闘いである音楽の解放、アイデンティティー追求か、アイデンティティー破壊かの局面が<ロフト>には刻み込まれていないこと。
14 <ロフト・ジャズ>がトータルな運動の動勢としてあるのではなく、ヴィレッジ、ハーレム、ブロンクス、又ヴィレッジの中でも幾つかに、分裂的にあり、決して統合などされていなく、<体制の分断工作(あらゆるレベルの)>を容認していること。又<ロフト・ジャズ>が幾つかの地域に分かれ、相互間のコミュニケイト、コラボレイションがほんの一部でしかはかられていないこと。
15 可能態としてのダイナミズムがその有効な出口としての場をまだ見つけていず、<ロフト・ジャズ>がそれをすべて導くようなレベルにまで達していないところでまだ部分的な<領域>に過ぎない形のままにとどまっていること。

 以上思いつくまま現在の<ロフト・ジャズ>の在りようの問題点といったものをアトランダムにあげてみた。
 運動がより自覚的に押し進められた行為者が己れを組織し、自らとジャズの現在と未来にとっての闘いの位相を見い出しそれを選びとる時こそ<ロフト・ジャズ>はロフト・ジャズを超えて現前するはずだ、というのが私の<ロフト・ジャズ>を考え始めて以来変わらぬひとつの思いであった。
 私は<ロフト・ジャズ・ムーヴメント>に可能性を見るからこそ、そこにこの十年来始めてのジャズの<戦場>と<現場>を見るからこそ、<ロフト>のすべてを厳しく見つめなければならないと思っている。
 すでに資本主義の手先たる、体制の犬たち、音楽産業が<ろふと・じゃず>を支配商品化しようと蠢いている。その事が事実となっている今だからこそ、我々は<ロフト・ジャズ>を形骸化した殺したり終息させたりしない為に<ロフト・ジャズ>を当然のものとして、与えられたものとしてではなく、自らがジャズをとらえ、ジャズを考える上で自らによって見いだす必要にせまられている。
 だからこそあらゆるレコード、ニュース、情報の向こう側をこそ見つめねばならない。

 何かのレッテルのように投げ出された<ロフト・ジャズ>なるものの表面を剥取った時こそ、その裏に真のジャズの現在とジャズのアクチュアルな存在の領野、そこにゆれ動く複数のムーヴメントがある。
 それはおそらく醒めたものとしてひらける何ものかだ。
 私はそれを今、かりそめに「反ユートピアの原像」と呼んでみたい気がする。
 ジャズはユートピアの幻を排し、より確かでより苛烈な生々しい地平にこそ向かっている。そこには希望や夢というような形での幸せなヴィジョンは一切ないだろう。というのはジャズの真のアクティヴティーは何をかくそう「ジャズの解放」と「音楽の解放」にこそ向かうはずだからだ。それだけは確かなことだ。
 ジャズが己れの幸せな未来とヴィジョンを捨て去り、よりむき出された現実とより可能な現在との闘いに身をのり出す所にしか、ジャズは己れの未来を用意できない。
 ユートピアとは、どこにもない場所、理想の場のことである。ジャズが闘いの場であり、闘いによってしかジャズたり得ない以上、ジャズは理想主義と同時に、ありとあらゆるユートピアを否定し、さらに全ての現実によって験されねばならない。
 ユートピア主義は敵と体制、制度の用意し与える夢を打ち破る真の力とはなり得ないのだ。現在のニューヨークにあるジャズのムーヴメントはまさしくこのユートピア否定の前状況的カオス、前カオスの内に在り、理想主義によるのではない闘いをめざして「反ユートピア」のオリジンの回りをめぐっている。
 そこにこそ<ロフト・ジャズ>なるものの本当の今日的な意義がある。
 しかしジャズは<カオス>へまいもどろうとしている。だがその<カオス>は一度見た<カオス>とはことごとくにおいて内景を異にする<カオス>であるはずだ。
 そして<カオス>へ至った時、そこで戦闘者とフリーク(異形者)が登場する。まさに無数の形で。<ロフト・ジャズ>はその前状況であり、すでに始まっているものの過程のさ中の、いわば途上の現前というべきものなのである。
 それが本当のムーヴメントたり得たる為には、先行する闘いを闘った多くのイノヴェイターからあらゆることを学ぶとしても、彼等の辿った道をなぞってしまうことは許されない。多くの者が闘いをして死んだ。現在の<ロフト・ジャズ・ムーヴメント>は彼等の闘いを引きつぐべくして現われたはずだし、現われねばならないものであった。
 本来殺しとしての「反ユートピア」の果てにはただひとつしかない辿り着くべきものとしての「音楽の解放」があるはずだと私は言いたい。
 そう、お望みとあれば、私は<ロフト・シーン>に期待しているとも可能性があるとも言ってもいい。しかし真に<ロフト・ジャズ>の未知に期待するならば仮想としての<不可存郷>を現実の光によって常に照らし、現在に向けて解かねばならないように、現在に焦点を合わしただけの希望や期待や理想はいったん捨てられねばならないのだ。
 何故ならどのように光に満ち、可能性の満ちた現われと見えようとも、それは無限に<現実>を貫ぬく行為をこそくり返さねばならないし、まだ見ぬとはいえ、より困難な<現実>に晒されねばならないのであり、この時現在の<ロフト・シーン>として示されるもろもろのものも、より苛酷なジャズの<地獄>に向かわねばならない。
 無数の行為者と無名者、そして無産者をかかえて今、<ロフト・ジャズ>はその<地獄>を通ってゆく。
 兆しは常に凶々しい程よく、光景は主体が見渡せぬ程混迷している程よい。
 ニューヨークにもう一度の冬が来る。私はその間に合う為に出かけるだろう。

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