ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録原稿
特集:ニューヨーク・ジャズ・シーンの動向〜ニューヨークの新しい局面を追って
●現地報告:ニューヨーク・ジャズ・シーン[池田克之]
●「同時代の逆説」〜ニューヨーク・ジャズ・シーンの“現在”[間章]
●ニューヨーク・デイ・バイ・デイ[白石かずこ]

「同時代の逆説」〜ニューヨーク・ジャズ・シーンの“現在”
(『ジャズ・マガジン』77年8月)

 一年後のニューヨーク 

 4月の初め、私は先の滞在から、およそ一年ぶりにニューヨークに着いた。
 二、三日ぶらぶらと「ヴィレッジ・ボイス」と「ソーホー・ニュース」を手にイースト・ヴィレッジを歩き、何軒かのジャズ・ロフトやクラブ、そしてロックのライヴ・スポット(アメリカではライヴ・スポットというのはストリップ小屋のことだ)をのぞいた。そして最初からある種の悪い印象と何か違う、何か変わっているという感じを持ち続けた。
 もちろんニューヨークは変わらずに生き生きとしていたしにぎやかでもあった。だが例えばスタジオ・リブビーやレディス・フォート、アリズ・アレイ、ティン・パレス等の何処へ行っても、こうした“何かが違う”という感じは色濃くなるばかりであり、私はそういう気持でいる自分にもどかしさを感じ、又いらいらするばかりであった。そしてもっと確かなシニカルな気分の浮き上がってくるのをどうしようもなかった。私はたぶんに直感的な人間である。私の生き方の全ての場面において私はいつも“かん”のようなものにつき動かされ、それと闘いながら検証するように生きてきたように思う。私がビリー・ホリデイやエリック・ドルフィー、そしてスティーヴ・レイシーと出会ったのも、またそうした個のドラマ、現実を見つめる視線と、そして私が抱く受感との間の往復のダイナミズム(そこに私は行動と思考のひとつの基礎をおくのだが)をひとつの過程とするようにして生きて来た。
 もちろん私は“直感”や“印象”といったものと抑圧性や閉鎖性、危険をよく知っている。それが精神分析学者がいう幻影(げんえい)やロランバルトのいう“仮説”の帝国主義性といったものに近いものであるという問題性も知っている。或る印象や仮説からスタートし、もしそれに適合する事象・事例を見つけようとするならば、いくらでも見つけることができるというあれだ。そして私はそれがこの保守的な自己確認といったものに向ってゆくという事も又良く知っている。しかしデーターと資料の分析法と読み方、そのレクチュールの上にしか“現実的な具体的な認識への方法”がないといわんばかりの文化的マザー・コンプレックス、或は小児症も極めてブルジョワ的な密室のフィールド・ワークにしか過ぎないという事も知っている。すべてはこの肉(体)とこの個の情動の器から発している。つまり肉を見出す事がなく他の肉も見い出されないのだ。観念の空転する儀式から一歩でも身を引き離すものがあるとすれば、それは己れの肉と肉ならぬものの間の距離や、そのへだたり故のあらゆる正と負の質を問わねばならない。そしてその質を問うということこそ、あらゆる運動の基本的発端でありその意味なのだ。
 私は、ずっとシニカルな気分のままでいた。それを私が気分とあえて言うのは、単にひらき直りではない。そのシニカルさこそ、“あらゆる矛盾するものの混在”する私のひとつの現実的な場でもあったからだ。
 私はいつも具体的な人間との関わりの中からすべてを始める。というのは私にとって、一般的な“大衆”も一般的な“ミュージシャン”もまずは存在しないからだ。そうした“一般的な”ものはそれこそ何よりも観念やイメージの中にしかないからだ。もちろん私の具体的な人間との関わりとはそこに埋没する為のものではなくて、そこに反映されるすべての表われをリアライズし、それを具体的な環境や制度や社会のコンテキストの上に読みとり、それをさらに生きる為のものだ。
 一個の“運動家”“活動家”としての私があるとするなら、この関わりと関わりの作業においてその基点を持つものだろうと私は考えている。私はだからまず、そうした具体的な他者との関わりの検証・組織化においてこそ“工作者”としてのフィールドを持つ。
 私が特定のミュージシャン、例えば吉沢元治や高木元輝や近藤等則そしてスティーヴ・レイシーやデレク・ベイリー、ミルフォード・グレイヴスといった人達とまず何より深く関わろうとしているのは、友好を深めるとかきずなを深めるといった事はなくて、又“予定調和的な関係の結社”を作ろうとすることでも“同族的共同幻想へ閉じる”ことでもなく、そうした関わりをこそ“運動”の中心とする事であった。私はこの“運動”を選んだし、この“方法”を選んだ。もし発展させ、さらに運動化していくものがあるとするなら、それは一対一の個の間のゆがみやずれや連なりのすべてを見てゆくことからしか成し得ないものだと思っているからである。
 時にはだから、そうした私の関わり方が“狭い”とか“限定的だ”とかいう事で批判されることがある。しかし私は個と個の間から生み出される形以外でのあらゆる“組織”や“集団”の観念やイメージを持つことが出来ないのだ。すべてに客観的なスタンスを取る方法というものがあったとするなら、それこそ“制度”的なまたは“安全”なマザコン、ブルジョワ的方法でしかないという考えを私は捨てる事が出来ない。
 一年後のニューヨーク、そこで私は決して多くはないにしても様々の人間に会い、様々のものを見たり聴いたりした。
 そして私はこの前の旅から帰って以来、この一年後のニューヨークで私の本当のニューヨークへの進入があるし、あらねばならないと考え続けてきた。しかしことごとくにおいて私が出会ったものが“シニカル”なもの“私のシニカル”さへとなだれ込んでいったという事実は何故なのだろう。
 ここであえて言わせてもらうなら、そうした事態に私の個人的な事柄が多く関係しているというのは事実であろう。私は実際にある日本人のミュージシャン、つい二ヶ月か三ヶ月ニューヨークに行き“すっかり地をさらけ出した”卑屈で空ろな男と絶交したのだったが、それはその人間が私にとって大切な人間だったとか友人であったということ(決してそうではなかった)とは全く関係なく、私にとっては大きな事件だった。この男、謙虚さと卑屈さをはき違えた、ニューヨーク滞在をあらゆる形で自分の表面的な売り込みの為に利用することと、虚栄とすることしか知らない男と、私がロンドンのカンパニイーのコンサートで見た、全く不自然に悲愴に飛び入りしつまみ出されながら叫びわめき通した日本人の男こそ何よりも私を暗くさせ、私の日本のジャズの負の面、いってみれば恥しさを、考えさせたものはない。それはまさに日本の暗さ、我々が普段は見逃している暗さ、いびつさを教えるのは十分な出来事だった。私はこの項を書くにあたって編集部の“ニューヨークのジャズ・シーンの現状とその分析”という求めに応じて、ずっと考えたのだったが、私はこの二人の男を通して感じたものから、決して眼をそらす事が出来なかった。というのはこの旅を通じて私が抱えていた“シニカルさ”の中のひとつの中心を、絶望的なまでにこの二人のみじめな男達がシンボライズしていると思ったからであった。


 一年後のロフト・シーン 

 結論的に言ってしまうならば、一年前に私が感じたイースト・ヴィレッジのロフトやクラス、シアターを中心とした、エネルギーの高まり、それぞれが出会いを求めて交流し激しく動き続け、それに自己を主張し語り合うというダイナミズムを、私は今回のニューヨーク滞在でもう感じる事が出来なかった。私が一年前確かに見、そして感じたのは限りなく発展しようというエネルギーの高まりとしての“ムーヴメント”だったのだが、それは一年後のニューヨークではある意味で固定化し収束し、まとまってしまっていた。毎日のようにそこかしこで行なわれていたセッションは殆ど姿を消し(もちろん今でも定期的なセッションはあるがそれは定式化している)一年前“ロフトの輝やかしいミュージシャン”として私が語ったミュージシャン達は、殆どその交流のサークルとサイクルを固定化しその範囲中で、あるいは自己のグループで、あるいは自分の仲間のミュージシャンとの共同グループや複合グループで演奏しているだけであるように見えた。そして私が驚ろく位に、多くいたはずのミュージシャンの中で代表的なミュージシャンのグループが結成され、そのへんの数グループがたくさんの場所でたくさんの数の演奏会を占めているのだ。
 例えばオリヴァー・レイク、デヴィッド・マレイ、ハミエット・ブルイエット、ジュリアス・ヘンフィル等というミュージシャンは幾つかの他のミュージシャン・リーダーのグループに属すか客演もしているが、もはや一枚看板のスターとしてどこでも週末の良い日には演奏しているようなのだ。もちろん“そんな事は前からあったはずだし、そうなるのは当然であり、そうなる必要があるではないか、お前がただ前にはそれに気づかなかっただけではないか”と言われればそうだとも言える。しかし私が決してうなずけないのは彼等が自分等のサークルやグループの演奏に熱中してゆくだけ、ボルテージが下り、スタイル的固定化が浮び上がってゆくという現象である。確かに現在のロフト・シーンは清水俊彦氏が言うように“インテグレーション(統治)を示めしている”とは言え、そのインテグレーションの中にひろまりと高まりがないのなら、それはジャズの定式化、収束化として発展や解放以上にとらえなければならないものである。私の“シニカルさ”はイースト・ヴィレッジで聴いた演奏や幾つかのロフトのスケジュール表の中に見た“悪い予感”によっているのだが、その“悪い予感”とはもうダイナミズムと発展力を失ない、その代わりにすべてが“まとまり”“安定化”しつつあるという事の予感だった。この“安定”した感じ、“動き”の喪失の感じこそミーヨーク滞在中常に私が感じていたものだった。
 “それこそが建設と内省と真の発展のはじまり”と言おうとする連中がいるだろう。しかしこの“まとまり”と“かたまり”は本当のパワーと発展、展開に向かうものなのだろうか。私が聴いたリボルーショナリィー・アンサンブル(RE)とデヴィッド・マレイはそうした意味で私を最も憂鬱にさせた。確かに人もたくさん集まり、“にぎわって”いる。そして演奏もあるレベルを維持している。しかしそれはある表面的なものを突き破るカに欠けているのだ。REは洗練されていたし、シローネはとても良かった。しかしリロイ・ジュンキンスの演奏性の幅のせまさ、ジュローム・クーパーの“なれ切った演奏”はどうだ。それは言ってみればまさに“なれ合い”の光景だった。予想され期待されるものを予想された通りに期待された通りに送り返す“安全な”芸としての演奏なのだ。正直言って、それは私をがっかりさせる以上に白けさせた。そしてデヴィッド・マレイの演奏だが、これも又非常に洗練されスタイル化した演奏だった。確かに彼はのびやかで強力な誰よりもでかいサウンドを出すしサックスの演奏もうまかった。しかし私を白々とさせるのは彼の“からっぽさ”なのだ。いかに彼がマイクをわざとはずし、アイラー風のスタイルで(演奏スタイルも)“ゴースト”を演奏しようとそれが“気取り”以上のものを真のパワーやスポンティニティーを感じさせないのは彼がいわば“うそ”を吹いているからとしか思えなかった。
 そして私の気を滅入らせたのはREとマレイのコンサート(同じ日だ)の両方に客演したスタンリー・クラウチのひどさと、クラウチの光景とクラウチの客演を生み出した状況だ。彼クラウチは決して“ロフトの期待される新人プレイヤー”ではないし“ロフトの代弁者としての新しい自覚的な評論家”でもない。彼は“ドラマー”ですら、“評論家”ですらなく、又“ミュージシャン”ですらない“ごろつき”“権力意識のかたまり”、ロフトの“寄食者”“ごきぶり”なのだ。それはもう演奏とさえ言えないものだった。その彼を“客演”としてむかえるミュージシャン達の“こび”“へつらい”はどう考えても醜い妥協と日和見、卑屈さを表わすものでしかない。彼等がクラウチを“客演”させるのはクラウチが優れたドラマー等であるからでは決してないことは、誰の眼にも明らかだ。又個人的親近感の現われでもないことも明らかだ。
 それは権威に媚を売るという弱さを示すものでしかないのだ。
 土取利行君の紹介で知り合ったブッカー・T・ウイリアムス(ts)はこの一年間の間に登場した素晴らしいミュージシャンだ。彼はやはり土取君と演奏したビリー・バング(彼はジェンキンスよりずっと素晴らしいヴァイオリン奏者だし、ずっと新鮮でラディカルなプレイヤーだ)と共に最も新しいミュージシャンであり、今後の可能性を期待させる数少ないミュージシャンだ。
 その彼にクラウチをコックローチ(ごきぶり)と呼んで見せた時、彼はまさに笑いころげたのだったが、その時彼でさえもが、「彼の悪口をいうのはここでは危険だ。もっとも私は彼の恩恵を受けた覚えはないし、又受けるつもりもないからいいが」という意味の発言をした。
 このクラウチの存在と彼の立ち回りを許すニューヨークの状況、それは何か寒々しいものを私に覚えさせる。
 そしてあらためて、ニューヨークでロフト・ジャズをめぐるムーヴメントが抱えている危うさと困難さについて考えないわけにはいかない。何が本質的であり何が新しいのか、そしてそれは何を現わしているのか。


 ロフト・ジャズの上昇志向と安定−オリヴァー・レイクの発言 

 一年後のニューヨーク。そこではレディス・フォートもアリズ・アレイもスタジオ・リブビーも比較的新しいミュージシャンの演奏を聴かせるクラブのティン・パレスやまた古くからコマーシャルなスポットとして有名なヴィレッジ・ゲイト、ヴィレッジ・ヴァンガードとなんら変らない“コマーシャル”なスポットとなっている。そしてこの事は現在のロフト・シーン(それにしても妙な呼称だ)の上昇志向の現われを示している。(もちろんそれはむべに否定すべきものではない)。
 一年前とくらべると多くミュージシャンが住居を変えている。そしてそこをたずねて見ると、皆信じられない位良い部屋に住むようになっているのだ。又すべてのミュージシャンが“今はかせげる”ということに夢中になってさえいる。たとえばあのオリヴァー・レイクにしてからがそうだ。以前、プエルトリコ人街の入口の小さな部島に住んでいた彼は一年後にはワシントン・スクエアのすぐそばのイースト・ヴィレッジの一等地のアパートに住んでいた。私の最近レコーディングはしたかという質問に対して彼は次のように答えた。
「今は待っている時期だ。あれから全然リーダー・アルバムをレコーディングしていない。マイケル(ジャクソン・ギター)とレオ・スミスのレコーディング、それにホライゾンのビリー・ハートのアルバム録音に参加しただけだ。もちろん話は幾つかある。でもギャラが気に入らない。一年前だったら私はグループで三千ドルか三千五百ドルでレコーディングした。でも今は五千ドル以下では決してやらないつもりだ。コンサートもクラブでの演奏だってそうだ。コンサートは六百ドル以下ではしないし、クラブも二百ドルとか三百ドルとかの保証をしてくれなければ出ない事にしている。
 私に必要なものは今、明確さだと思う。そしてパワーだ。私自身こうして待っているのはもう後戻り出来ないし、したくないからだ。私はもっと登りたい。その為には落ちないことだ。ギャラだって決して一度得たレベルをダウンさせたくない。私にそれは必要だ。ニューヨークは段々良くなってると思う。演奏する場所だって増えたし、ちゃんと聴きに来てくれる人々もいる。力のあるミュージシャンも多くいる。私はそうした人達と自分のはっきりした音楽を作り上げたいと思っている。(ニューヨーク・ロフトの)ジャズのエネルギーは上っていると思う。そして今度はそのエネルギーに形を与えなければならないと思う。これからは具体的に作り出すのだ」
 もしかしてこれらの発言は喜ぶべき事なのかもしれない。自分の登った位置から決して降りないという意志はプロとして評価して当然の事かも知れないし、きちんと金を請求するのは自覚的でそれは必要な事かも知れないという形で。
 でも私はそこに“いやなもの”を感じるのだ。そしてその“いやさ”は何処から来るのかと言えば、“まだそんなにまでなることはないではないか”“まだ早いのではないか”“決して金の問題ではないはずだ”という気持から来ているようだ。何かが欠けている。理解は出来るにしても何かすっきりしない感じがつきまとうのだ。
 そしてオリヴァーは最近彼が他の二人のサックス奏者と結成したという「リアル・ニューヨーク・サキソフォン・カルテット=RNYSQ」について話す。
 このオリヴァー・レイク、デヴィッド・マレイ、ジュリアス・ヘンフィル、ハミエット・ブルイエットというロフト・ジャズ(?)を代表する四人のサックス奏者からなるイレギュラーなグループは、三月に作られたばかりだが、その演奏ギャラが三千ドルと高い為、まだ一回しかコンサートをしていないという。オリヴァーはこのグループについても次のように言う。
「これはスーパー・グループだから、それに皆有名なミュージシャンだし、スターだし、自分のグループと自分のリーダー・アルバムを持つミュージシャンばかりだからギャラも高いんだ。五月には一回セントルイスでコンサートをやる予定になっているし、ドイツ(メルス・フェスティヴァル)でもやる事になっているが、ちゃんと三千ドルはギャラとしてもらう事になっている。安売りは決してしないんだ。又そうまでして演奏する必要がない。皆日頃は自分のグループやその他の演奏で急がしいのでスケジュールも決めるのがむずかしいし」
 このRNYSQ、サックス四重奏団というのはそのメンバーから言っても構成から言っても興味深いグループだ。しかしこのグループの結成に私は率直に言って好ましくないある動向の表われを見る。それはさっきも書いたような一種の上昇志向(経済や知名度に関わるような)と内容よりもフォノムやスタイルを重視する傾向、形式主義を強く感じる。このRNYSQが単なる思いつきで生み出されたとは決して思わないが、そこにやはり一種のスノビズムの影と気取りを感じるのだ。
 この“スノビズム”こそ今のロフト・ジャズといわれているジャズをひとつの形で照らし出すものだ。いみじくもオリヴァー・レイク自身が言ったように、それはこの場合スーパー・グループという意識によって代表される。そして私はこのRNYSQの結成の背後に、ベースとドラムとヴァイオリンによるユニークな形態のグループ、リボルーショナリー・アンサムブル(RE)の成功の影響があると思える(もっともこのRE、最近はクーパーがピアノ、シローネがトロンボーンも演奏している)。
 ここでは“新しい探求”の必然から生み出されたというよりも何か“新しさの追求”から用意されるという形の何かが支配しているように思う。
 そしてこの“新しさ”なるものの現われこそ共通してロフトのミュージシャンやそのグループの音楽にまとわりついて離れないものだ。いやそれは共通するファクターと言っていいかも知れない。


 ロフト・ジャズの「逆説」 

 ロフト・ジャズ・ムーヴメント、それは確かに鮮やかで生き生きとした新しいムーヴメントではあった。しかしそのムーヴメントが築き発展し、又根づくもの、生み出すものはまさにこれからの展閲性とそのプロセスの内実にこそあったはずなのだ。
 確かにそれは新しいミュージシャンを多く登場させた。しかしその彼等の新しさや新しい音楽というものは彼等の作業の持続性と持続性内のダイナミズムの質と構造、さらにはその持続の中で遭遇し立ち合うあらゆる変化や亀裂や矛盾の中でこそ、生み出されるはずであるという性格を持っていたはずだ。
 しかし現実のロフト・シーンの多くの音楽はもはや余りに出来上がり、まとまり、固定化した感がある。それは余りにそうなのだ。
 そこには本当の意味での矛盾や相克やアナーキさというよりも、むしろ調和がある。そこには創造へのダイナミズムとしてのアンビヴァレンツ、危機意識、体制的なるものとの闘いや、そうしたものが表わすいらだちや、あせりや、矛盾というよりも安定があるのだ。
 それはこの時代にあってロフト・ジャズがあのような形(曖昧ではあるがここではこのように述しておく)で生み出されたということの示す“逆説”性を思い起させる。
 私達はロフト・ジャズ・ムーヴメントによって何に立ち会っているのだろうか? そうした問いを設定した時に、私が感じる“シニカル”な気分はこのロフト・ジャズ・ムーヴメントの現われの“逆説”性から来ているように思えてならない。
 私は二回目のニューヨーク滞在を終えてロフト・シーンは“フリー・ジャズ”の可能性を追求し発展させようとするというよりもフリー・ジャズの今日的市民権獲得への動勢だと考えざるを得なくなった。それはいってみればフリー・ジャズなるものの大衆化へといった現象へ結びつくようなもののように思える。確かにそれは現在のアメリカの黒人の政治情況に端的に見られるようなコミュニティ建設の志向に重なる形の“ポピュラー運動”なのだ。それはそれなりにアーチー・シェップやファラオ・サンダースの志向のそれは別な形での発展と開花とも思えるものなのだ。
 現在ニューヨークで最も話題を集めているドン・ピューレンが大メジャー、アトランティックと契約して発表した第一作が“ポップ”なクロスオーバーのアルバムであることや、ロフト・ジャズの“代表”としてリボルーショナリー・アンサンブルがニュー・ポートに出演したということなどまさにその好例である。


●デレク・ベイリーの発言

 イギリスのデレク・ベイリーとパリで語り合った時、彼は突然「最近のニューヨークの音楽情況についてどう思うか」と私にたずねた。その時私は次のように率直に答えたことを覚えている。
「現象としては非常に盛り上がっています。でも本当のエネルギーの高まりや創造的な情況は感じられないように思います。良いミュージシャンもかなりいます。でも余り面白くないと最近は考えています。何かムード的なものと退行的なものを感じるんです」するとベイリーは言った。「私もそんな風に感じます。色んな人が今のニューヨークは面白いと私に言うので、私は非常にまれな事ですが、何放か−そうですね10枚位−ロフト・ジャズのミュージシャンという人達の演奏をレコードで聴きました。そして正直言ってがっかりしました。皆スタイルを目指しているように感じましたし、何といったらいいかな、よりジャズ的なんですね。彼等は1960年代において追求された可能性を発展させていないし、逆行しているような印象を受けました。とても古いし、退屈でした。そしてむしろ創造とか即興への熱意というかスピリットは低下していると感じます。もし彼等の音楽に面白さや良さというものがあるとしたらそれは何か『ジャズ』が又あらわな形で彼等によって受け入れられ、浮び上がっているという事でしょう。ラディカルさというより、それは何かファッション的な新しさという感じです。はっきり言って興味は余り湧かなかったし、これはというミュージシャンはいませんでした。貴方はどうですか」
「私は一年前にニューヨークに行った時、そこにエネルギーを感じ、熟くなった口の一人ですが、今回は非常に醒めてしまいました。いわばある意味で、あるべき普通の形でジャズ・ブームがあるだけではないか、という印象さえ受けてしまいました。オリヴァー・レイクなんかは良いサックスなんですが、『ヘビー・スピリッツ』という最初のレコードが一番いいのではないかと思いました。実際には聴いてない人もいるんですが、演奏者として良いという意味ではロスコー・ミッチェルやバイヤード・ランカスター、ジョージ・ルイスなんかいます。彼等はまだ音楽の開発と即興演奏のレベルではひとつの局面を代表しています。しかし全体的に言ってニューヨークはまだそれ程創造的な情況になっていません。多分望み過ぎなんでしょうが、貴方やS・レイシーのようなミュージシャンはロフト・ジャズ・シーンの中にはいません。貴方もおっしゃっていたように後戻りしたように感じます」
「これからという印象ですね。でも私はこうした形で『ジャズ』が復権するだろうという感じはずっとしていました。ただ忘れてはならない本質的な何かをまだ見い出していないままの、ニューヨークの今は失望します」。


●スティーヴ・レイシーの発言

 このような考えは又別の形でこの二年間十年ぶり位で連続してニューヨークを訪れその滞在期間中に、演奏会やレコーディング等の活動を行なったS・レイシーの次のような発言の中にも見てとれる。
 彼は丁度私のように一年の距離をおいて76年の春と77年の初頭ニューヨークに滞在している。
「ニューヨークは不思議な街です。それはミュージシャンに戦争状態を課すのです。50年代から60年代の初め、その戦争状態はこれまでとも違う形で盛り上り、創造的なシチュエーションを形成しました。精神的にもそれはひとつの高みを生んだのです。しかしその後はそれが失なわれたのです。最近のニューヨークは少し良くなりました。でも決してスピリットはそれ程高まっているとは思えません。何年かするとそうなるかも知れませんが、まだニューヨークにおいてジャズは本当の盛り上りを見せてはいないと思うのです。数カ月滞在してよくわかったのですが、其のアクティビティーの周辺を、今は多くのミュージシャンが回っているという印象なのです。そして皆利口過ぎるような気がします。セシル(テイラー)も言っていましたが、まだ60年代の活動をおびやかすような新しい動きは何もないと感心ますし、それ以上に何か今のロフト・ジャズ・シーンの未来がすっきり見えてしまうようなそんな浅さがあります。本当の困難さや危機にまだ直面していないのでしょうか。だからそこに住みつきたいという程魅力を感じないのです」


 同時代の「逆説」 

 ニューヨーク生まれのニューヨーク子でしかも十代の終りからプロ・ミュージシャンとして様々な季節を経て来たレイシーの発言には一種独特のリアリティーがある。私が一年後の今回のニューヨーク滞在で感じたものも、レイシーの感じたものと非常に近いものだった。でも私がロフト・シーンといわれているものの、ほんの一部しか見ていないのも事実だ。そしてその私がこのロフト・シーンとニューヨークのジャズ象現在に感じるものこそ、奇妙に交差した相反するもの、つまり高揚と停滞、新しきものと古いものとの熱狂も醒め、その他もろもろの中にある、それ自体又奇妙な“同時代性”なのだ。
 私はこの時代、我々がまさにその中にいる時代をこそ、又ニューヨークのジャズの現われ、とりわけロフト・シーンに感じる。
 それは「大衆ファシズム」と「形骸化した革新」、「前衛主義の終りと大衆主義の終り」、そして「『記号』的なもの『形式』『見かけ』の専制」、「予定謁和の固定化」としての奇妙な時代を感じる。そしてそれはまさにそれが“同時代的”であることによって“同時代性”の“逆説”とも言うべき姿を現し出している。ある人類学者の仮性祭典、擬性祭儀という概念を思い出してしまう程だ。
 徹底的に共同性が破壊され“祭”がその根底から失なわれた時、その破壊された共同性をただ仮性において、つかの間現出させる為に“祭″が擬されて用意される。白けの時代が長く続くと擬性の“熱狂”が用意されるというのだ。しかしこのロフト・ジャズの場合とそれは誰が用意したのか?
 私は行く先々のニューヨークのロフトやクラブ、ロック・スポットで観客を良く観察した。そして彼等が決してすさんでもいず、熱くもなく、又醒めてもいない「宙ずりの状態」で、それでもただ何となくそこには、熟さを演じている風が良く見えた。そして恐らくは一年前の私自身もそうだったのだろうと述懐した。何か参院選へ向けての革自連と社市連の登場とそれをむかえる人々の背景となっている或る状態と同質のものをそこに感じたのだった。
 私はそれを又「民衆ファシズムの予感」といってすますだけではすまないと思っている。しかしそれが何なのかをはっきり見とどけるにはまだまだ時間が必要だとも思う。
 そして今は次のように言えるだけだ。
 ロフト・ジャズ的盛上りが、もし注目に値するとするならば、それは結局その後の動向にかかわるだろう、と言うことなのだ。
 私には反動的なものの動勢の、一見それとは逆の現われ方を見る思いさえする。だからこそ、今、私はロフト・ジャズに示されるものをこそ、これから真に問いつめてゆきたいと思う。それはそしてこの現代を問うことなのだ。ひどくそれはつらい事だ。というのはロフト・ジャズに真の前線を見い出せないということ、それ故にこのまさに同時代的なものを逆説として直視してゆかなくてはならないからだ。その逆説はそしてそれが表わすものがその反対のものを照らし出すものであり、ロフト・ジャズが体制の現われであるということによって、同時代性が同時代への一種の反逆であることによって正に二重の逆説なのだ。

 私は本当の事を言い過ぎただろうか?
 私はしかし私自身のひとつの気持を今知った思いだ。夢みたいという思い、具体的なパワーの盛り上りの現象を見たいという思い、それこそひとつにはロフト・ジャズを生んだものでありファシズムへの前状況を生んだものだ。私はその夢と欲求を今殺さねばならないと強く感じている。そして不可視の前線へこそ視線(まなざし)を向けて行かねばならないと思っている。
 私は今“シニカルな気分”をようやく出ようとしている私自身を感じ始めている。

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