ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録原稿
Frederic Rzewski / The Peopie United Will Never Be Defeated (Edizioni Di Cultura Popolare. VPA-114)
(『ジャズ・マガジン』77年9月〜ディスク・イン・ザ・ワールド ZOOM UP)

Side A / Side B
The Peopie United Will Never Be Defeated

Frederic Rzewski (p)



 フレデリック・ゼフスキーは60年代の中頃にMEV(ミュージック・エレクトロニック・ビバ)をアルヴィン・カランとR・タイテルバウムとサンフランシスコで創出し、またニューヨークで政治的を音楽結社であるMAC(ミュージシャンズズ・アクション・コレクティブ)を結成し、アメリカのみならずポーランド、スペイン、ドイツ、アルゼンチン、イタリアという世界各地で極めてアクティブでアバン・ギャルドを政治=音楽活動を行って来た作曲家=演奏者=活動家である。60年代以後に現われた多くの西洋の作曲家の中でも特にラディカルな行動をし続けて来た男である。共産主義者の音楽行為者としての彼は常に現代音楽の前衛の前線を担って来たと言える。その意味で彼はイギリスのコーネリアス・カーデューと並んで「制度としての西洋音楽」「西洋音楽の抑圧的階級性」の解体に向けて活動し続けて来た「陳う音楽家」の1人であり続けて来た。そしてその彼の活動の中心にあったのが「音楽の解放への前衛」と「人民の解放への前衛」という2つの闘いの行動=組織化であったことは言うまでもない。「音楽の革命へ」と「人民の革命へ」、「革命の音楽へ」と「人民の音楽へ」というそれ自体切り離す事の出来ない志向はそれ故に深く彼を切り裂いてきたし、その溝を現実的に埋め、新らしい音楽の場と音楽の状況とそれにまつわる個と集団を見い出すためにこそ彼は行動し続けて来たと言える。そして我々は60年代から70年代中期にかけての彼の活動をひとつの「前衛主義者」の典型として見続けて来たのでもあった。その彼がこの数年来の行動で切り開いた地平はこれまで政治=音楽の活動地平を全く新たな局面において生み出しつつあることによって決して注目せずにはおれない重要なものを提示していると言える。そしてたとえばその見事な現われがこの「『団結した人民は決して撃破されない』のテーマによる32の変奏曲」である。30年代チリの人民解放軍の中から生まれセルジオ・オルテガと芸術家集団「Quilapayun」によって作曲=編曲された『El Pueblo Unido Jamas Sera Venicido』はチリ、アルゼンチンのフォルクローレ・グループ達によってベトナム戦争末期の70年代初頭に、「Inti Illimani」の名によってヨーロッパ世界でポピュラーなものとなったのであったが、ゼフスキーはこの曲のテーマを75年に32のヴァリエーション(変奏)形式に再作曲し、その後彼自身ピアノを弾きながら全世界の演奏会場一集会で演奏して回った。そしてそれは一部の批評家から「前衛主義者ゼフスキーの転向」として批判されもしたのであった。確かにこの曲においては音楽フォルム/構造上の革新性も前衛性もないばかりか、古典的とさえ言える(ベートーベン)以来のピアノ・ソロの表われがある。それはまるで西洋的なピアノ曲なのである。しかしこの曲の演奏を聴いた時には、まさにそれこそがゼフスキーのラディカルさを示すものであるということもまた了解されるのだ。つまりゼフスキーはこの西洋古典的風貌を待った曲によって新しい革命のヴィジョンを示しまさにそれ故に「西洋的を余りに西洋的な前衛主義者」達の観念性と抑圧性への闘いを展開しているのである。彼が西洋の形式主義」への反逆を、そして西洋音楽でさえも「抑圧された人民の革命への武器」として「人民の側」へうばい返そうと試みているようでさえあるのだ。何よりも新しく革命的なゼフスキーがここにいる。誰よりも前衛主義的であった彼自身がここで、「前衛主義者ゼフスキー」をすでに乗り越え、埋葬しているのである。そして我々は全く新しい局面としての「人民の音楽」創出のひとつの人口を彼と彼の音楽をとおしてかいま見るのである。彼自身そしてこの曲について次のように語っている。「この音楽は古典的でもコマーシャルでもなく、古典的な西洋の伝統とラテン・アメリカンのフォークロア音楽が結合する形であるところの大衆的現実に根ざしたものである」「この音楽はそれが西洋であろうと第三世界であろうと、すべてのプロレタリアンと我々音楽家と我々の音楽の場の間にひとつの道を切りひらくことを求める志向の内にある」「このコムポジションはたとえそれが言葉に翻訳不可能であろうとも現実に根ざした具体的な事実を語ろうとするものである。この曲を書きながら私が念じたものは全世界の人民の自由への独立への希望であった」。私は彼のこの曲のブリュッセルでの演奏のテープをS・レイシーの家で聴いた時、心の底からの感動を覚えた。そしてそのゼフスキーの演奏は本当に素晴らしかった。ここにはもはや音楽の変革と革新といったブルジョワ主義的を危弱さはない。そこにあるのはあらゆる観念や論理といったものを超えた真の力であり生きた音楽なのだ。そしてこの生と力を生み出しているものこそ行為者としてのゼフスキーのもはやどこにも気取りのない激しい意識と熱性なのだ。私はそれを疑わない。このゼフスキーの音楽からひらけるものこそ人民にこびた解放の音楽ではない、人民そのものと知識人としてのゼフスキーの共有できる場であり、それこそが「西洋主義」と「前衛主義」を観念的な「大民主義」共々否定する鮮やかに同時代的を“熱い闘い”の存りかなのである。

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