ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録原稿
Orkest De Volharding[Andriessen & Sieng][De Volharding]
(『ジャズ・マガジン』77年11月〜ディスク・イン・ザ・ワールド ZOOM UP)

※ アルバムタイトル修正

[Andriessen & Sieng](De Volharding 002)
Side A
Hymne To The Memory Of Darius Milhaud/On Jimmy Yancey:Allegro〜Adagio Bevridt Het Zuiden
Side B
'DeVolharding

Dil Engelhard (fl, pic), Willem Breuker (as, cl), Bob Driessen (as), Herman De Wit (ts), Cees Klaver (tp), Jan Wolff (horn), Willem Van Manen, Bernard Hunnekink, Jim Van Der Valk Bouman (tb), Maarten Van Regteren Altena (b), Louis Andriessen (p)

Recorded May 12, 1972 & September 25, 1974

※ ベトナムへの医療費支援の為に作られた7インチ盤。正確にはタイトルはありません。

[De Volharding](6802 146)
Side A
Solidariteitslied/Lied Van De Macht Van Het Volk
Side B
Dat Gebeurt In Vietnam

Louis Andriessen (p), Willem Breuker (as, cl), Bob Driessen (as), Dil Engelhard (fl, pic), Bernard Hunnekink, Jim Van Der Valk Bouman, Willem Van Manen (tb), Cees Klaver (tp), Herman De Wit (ts), Maarten Van Regteren Altena (b), Jan Wolff (horn)



「Orkest De Volharding」はオランダのコミュニスト/コンポーザー/プレイヤーのルイス・アンドリエッセン宰領するノン・カテゴリカルなオーケストラである。このオーケストラの中核を成すメンバーはICPのマーチン・ファン・レグテレン・アルテナや、彼自身のグループ「コレクティフ」で音楽内の特権性の解放と新しい大衆への音楽を目指しつつあるウイレム・ブロイカーの他のクラシック現代音楽畑のミュージシャン今までのICP、BVHAASTでは浮び上ってこなかったフリー・ジャズのミュージシャン達である。特に注目されるのはアンドリエッセンが70年に入ってからフリー・ジャズのミュージシャンとして活躍する時、常に密接な共同作業を行い続けて来たブロイカーとの結びつきだろう。アンドリエッセンが語るように“「Orkest De Volharding」は新しい開かれたグループと関わりの存り方としてのオーケストラを目指し、そしてアバンギャルド、ポップ、ジャズ、民謡を包括した新しい大衆音楽を目指すものである”このオーケストラはその名Volharding=「辛抱強い」「忍耐強い」が示すように様々な音楽テキストをもとにして、規則的なオーケストレーションから個の連続体としての自発的なオーケストレーションヘ向い新しい共同性を可能とするコンテキストと具体的な聴衆との間に開かれたコミュニケーションを生み出すため、フォームやテクニック、音楽様式への訓練とは対極にある共同作業をねばり強く続けてゆこうとする志向の内にひとつの領野を生み出しつつある。スペシャリストの特権的な音楽の存り方への具体的を批判を展開しつつ、屋外の公園、集会等で定期的な演奏の場を持ち続けているこのオーケストラの存在が示すものは第1にICPだけでは決して代表され又浮び上りもしないオランダの開かれた開かれようとする音楽家達と彼等の音楽と情況であり、それを必然としていった、それを必要としていったそれなりに切実なヨーロッパの自覚的ミュージシャンの存り様であり、第2にはそうしたミュージシャン達の本当に「忍耐強い」試みのプロセスと努力が示すやはり切実で必然的な音楽への向い方の局面である。実際このオーケストラを通して我々が知るのはもはやJCOAでもグローブ・ユニティーでもない「オーケストラ=集団」へ向っている、とりも直さず新しくより開かれた、よりスポンティニアスな関わりヘ向っているミュージシャン群である。このオーケストラが示すものこそそしてひとつの具体的な「新しさ」の存りかとその地平である。私は以前にこのページで取り上げたゼフスキーの音楽やこの「オルケスト・ド・ヴォルハディング」の音楽においてこそ誠実に時代と関わろうとし、より具体的に具体的な大衆に関わろうとするミュニージシャンの存在と新しい音楽の位相、局面を予感する事が出来る。ダリウス・ミヨーからジミー・ヤンシー(ブギウギの作曲家)ベトナム反戦歌から、スペイン市民戦争従軍兵士の歌までがこのオーケストラによっていかに新しく読み直され展開され直され、新らしいコンテキストのもとで生き直されているか、そしていわゆる曲というものがいかにこのオーケストラによって異化され、又オーケストラというものの性格自体が異化されようとしているかはレコードを聴く時、具体的な姿で浮び上って来る。そしてここに決して見逃してはならないヨーロッパのミュージシャン達の志向と意識、それが持続発展させられつつあるヨーロッパの場面が見えてくるのである。そして又その時真の意味で創造的活動へ身を起しつつある行為者ハイス・アンドリエッセンの姿も又はっきりと浮び上ってくる。

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