ドキュメンタリー映画「AA」〜音楽批評家・間章 間章を知るために

単行本未収録原稿
一枚のレコードについて〜'70年代の日本ジャズを支えるもの
(『Let's』69年12月もしくは70年新年号)


日本ジャズの自立性を獲得

 一枚のレコード、それはつまり11月に発売された高柳昌行とニュー・ディレクションの「インデペンデンス」だ。僕が'69の日本のジャズの動向や展開について語る場合、このレコードにふれることなしにはすまされない。このレコードはいままで日本で出された日本のジャズの最高傑作であるばかりでなく、日本のジャズの自立性獲得の道程のうえでさらなる重みをもつものだ。
 ここ2年くらいの間に日本のジャズは表面のはなやかな場所ではなく、ジャズという器のいわば底の部分で地道ながらも自己発見しながら変わりつつあった。そしてそれらの場所で行われていることと、それらを行っている人たちが大きな意味で存在を認められるということは今までなかった。


日なたぼっこのジャズを吹き飛ばして

 それが佐藤允彦の帰国による佐藤=富樫の結びつきから新しいジャズのファンがふえ、レコード会社がレコーディングするようになってから、いわば大資本も(レコード会社など)幾分のり気になってきたという一種の気まぐれから、暗部でジャズを支えていた人たちが認められてきたのだ。その場所でこの「インデペンデンス」がレコーディングされたのだが、このレコードはまぎれもなく日なたぼっこのジャズ(日野皓正etc...?)をジャズ自体の力で吹き飛ばすことになったと僕は思っている。日本のジャズはまだない!と叫びたい思いで日本のジャズと苦いつき合いをしてきたが、日本のジャズは今こそ生まれようとしている!と言いたいのだ。
「インデペンデンス」はまさにその口火を切ったものといえる。そこにこのレコードの重さがあるのだ。


'70年代を開く三派

 ここで'69年の日本のジャズの総括をしてみようと思うが、日本のジャズの未来はまだ暗い。
 それは日本のジャズの日の当たる部分がコマーシャリズムに食い殺されそうだという予感がかなり現実化してきたことだ。さらに若手ミュージシャンの欠乏とジャズへのイージーな向い方をしているということ。なかには注目すべき活動を地道にやっている者もいるが、それにしても極端に数が少ない。
 '69年の3つの重要な事件をあげるとすれば、ひとつには「インデペンデンス」の高柳昌行ニューディレクションの登場(高柳昌行、吉沢元治、豊住芳三郎)、ひとつには高木元輝という驚くべきテナー・サックス奏者の出現と彼のグループ吉沢元治トリオの活動と実績、そして山下洋輔の病気回復による新グループをひきつれての再登場である。もうひとつあげるとすれば豊住芳三郎というきわめてバイタルでフレッシュな天才型ドラマーの出現をあげることができる。この3つのグループのうち、2つがレコードを出し、残る吉沢元治トリオも近くレコーディングされるということだがこれからの日本ジャズの中心的活動を展開するであろうこれらのグループがともかくもレコード出せるようになったということは'69年の最大の成果に加えてもよいはずだ。


最後に残るものは

 日本のジャズは今やヴァイオレンスに満ちた展開を行う地点にある。その場所で日野皓正を代表とするジャズの脱落者がその脱落ざまを明らかにしてゆくのが見えるようだ。
 僕はジャズ・トータル(全体)の発展などはけっして望みはしない。真にジャズを自ら選び、そこで闘っている実力のある者だけがこれからのジャズを支えることになる。彼らだけが日本のジャズを生んでゆくだろうし彼らだけがついにはジャズメンとして生きのこるだろうというのは僕にとって単なる確信を超えて明らかだ。

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